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2009年12月21日
 浜名湖の舘山寺温泉で「安川研究室結成50周年記念同窓会」が開かれ、私も参加してきました。「安川研究室」はヤマハ発動機株式会社のヤマハ技術研究所にあった研究室です。

 「安川研究室」の室長は安川力さん。私は室員の一人でした。安川力さんは2004年2月3日に放送されたNHKの「プロジェクト] 挑戦者たち 海の革命エンジン 嵐の出漁」で紹介されたことがあります。

 このことは当時の「私の直言」でも触れましたが、今回はこのとき紹介された船外機開発のメンバーに加えてそれ以前のトヨタ2000GT開発のメンバー、さらにそれ以前のYX80開発のメンバーなど「安川研究室」発足以来のメンバーが集いました。

 私はトヨタ2000GT開発のメンバーの一人として参加したのですが、参加した誰もが安川力さんを中心にまるで青春時代に帰ったかのように夜の更けるのも忘れて話が弾みました。

 私たちが開発したトヨタ2000GTは1967年5月から1970年8月までの3年3ヶ月で337台が生産されました。発売当時の価格は238万円で、トヨタ自動車の高級車であるクラウンが2台、大衆車のカローラが6台買えるほどに高価でした。

 21世紀初頭の値段に換算すれば1500万円から2000万円になります。一般の人にとっては想像を絶するほど高額なスポーツカーでした。

 DOHCエンジン、4輪独立懸架、5段フルシンクロメッシュ・トランスミッション、4輪ディスクブレーキ、ラック・ピニオン式ステアリング、リトラクタブル・ヘッドライト、これらを全て装備している自動車は当時大変珍しいものでした。

 また、長いボンネットと短い客室部を低い車高に抑えつつ、全体に流麗な曲線で構成されたデザインは美しいデザインとして評価が高く、「ボンド・カー」として映画に登場したこともあり、今でもよく知られています。

 安川力さんは入社早々、ヨーロッパ中を巡って開発のタネを探し歩いたこと、帰国して無理と思いながらスポーツカーのことを報告すると、社長が「それをやろう」と即断されてびっくりしたことなど、研究開発に徹した青春の日々を懐かしく語ってくれました。

 現在86歳。88歳になると米寿を記念して趣味の油絵の個展を開催すると言っていました。創造意欲に満ち溢れた安川力さんのますますのご健勝を一同で祈って同窓会は終わりました。

・浜名湖に半島幾つ冬紅葉
・遠き日の友と鰭酒酌み交わす
・河豚尽くし平らげてなほ続く宴(和良)

2009年11月28日
 急激な円高が日本経済に暗雲をもたらせています。円高は企業収益の悪化や輸入物価の下落を通じて「緩やかなデフレ局面」に陥った日本経済に深刻な打撃を及ぼしかねません。

 それにしても民主党政権の日本経済に対する無頓着さにはあきれるばかりです。菅直人副総理兼経済財政担当相はデフレの認識を示してもどう対応するのか処方箋を示しません。


 財政がデフレを加速しては元も子もありません。政府がこれまでに打ち出したのは麻生内閣が経済対策として策定していた補正予算を2兆9000億円執行停止しただけです。

 鳩山民主党内閣はマクロな経済運営の見取り図も立てずに、国民受けする予算の仕分け作業に熱中しています。これでは日本がおかれた厳しい経済状況に目もくれずにただひたすら目の前の予算の削減に気を取られているように思えてなりません。

 民主党政権の経済実態を直視しない政策運営は巷間にいわれるような民主党不況、民主党デフレを本当に起こしかねません。迫り来る不況を回避して国民生活を守るのが政治です。政治自らがデフレ招き、不況の引き金を引くようでは本末転倒の政治といわざるを得ません。

 日本経済に深刻な空洞化を招きかねないことも心配です。日本経済新聞は「このまま事態を放置し続けると、市場というもうひとつの民意が政権に不信任を突きつけかねない」と警鐘を鳴らしています。私も全く同感です。

 読売新聞は、鳩山内閣は急激な円高やデフレへの対応とともに鳩山首相の足元の偽装献金問題、いまだに方針を決めかねている米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移転問題の(三重苦)に直面し、困難な政権運営を強いられていると報道しています。

 東京地検特捜部は偽装献金を独断で行ったとされる元公設秘書を、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で在宅起訴する方向で検討しているようです。

 鳩山首相はかねてから政治とカネの問題をめぐり「政治家と秘書は同罪、秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきだ」などと発言してきました。

 にもかかわらず、鳩山首相は捜査待ちの姿勢を取り続けています。このことに国民は強い不信感を募らせています。首相は野党の開催要求を待つまでもなく自ら党首討論や予算委員会の開催を求め国会の場で疑惑にしっかりと答えるべきです。

2009年11月9日
 鳩山政権発足後、初の本格的な論戦となった臨時国会は衆参両院の代表質問が終わり、予算委員会に移っていますが、国民生活にとって心配な問題点が浮かび上がってきました。

 先ず第一に政治姿勢の問題ですが、選挙のときの民主党のマニフェストに書いてあるという理由だけで、住民と国の間で積み重ねられてきた合意を突然覆す政策変更は「全く民主的な手続きに反するやり方」と現場から不満の声が噴出しています。

 とともに鳩山首相の所信表明演説も破格の長時間演説であったにもかかわらず、観念論が多く、どのように国民生活が変るのか、具体策が全く見えないとの不安も募っています。

 次に経済運営ですが、鳩山政権は「マニフェストあって経済政策なし」といえるのではないでしょうか。補正予算の執行停止、赤字国債の大量発行で日本経済悪化の懸念が広がっています。

 鳩山政権のさらに深刻な懸念は経済運営の司令塔がないこと。足元の経済はおろか財政健全化の目標もありません。マニフェスト至上主義のバラマキ政治では財政の破綻は免れません。

 社会保障政策も心配です。長寿(後期高齢者)医療制度の廃止を言いながら代替案を示さない姿勢はあまりにも無責任です。

 年金一元化の議論も先送りし、介護保険制度を含めた社会保障の全体像を示さない無責任な鳩山政権に国民の不安が高まっています。

 心配されていた外交・安全保障政策は首相と閣僚の意見が合わず、閣内不一致を露呈しています。あまりの迷走ぶりにマスコミからも「鳩山内閣はバラバラ」(4日付産経新聞)などと批判され、関係者からの怒りも限界に達しています。

 「政治とカネ」の問題では鳩山首相の献金偽装問題が連日のようにマスコミに取り上げられ新たな疑惑が次々に発覚しています。

 国会での答弁で鳩山首相は、総額約2177万円の献金偽装のほか、5年間で計約1億7700万円に上る5万円以下の匿名献金にも虚偽記載があることを認めました。

 しかしながら、偽装した献金者名義の寄付金控除の証明書の行方や巨額偽装献金の資金源など疑惑の大半には地検の捜査中を盾に説明を避けています。

 鳩山政権に対する不安はじりじりと国民の間に広まっています。国会はその国民の不安を解消するため更に議論を深かめるべきです。国民の不安が一日も早く解消されることを私は強く願っています。

2009年10月10日
 ノルウェーのノーベル賞委員会は9日、2009年のノーベル平和賞をバルク・オバマ米大統領に授与すると発表しました。

 同委員会は授賞の理由を@核なき世界に向けた構想と努力A国際政治で新たな環境を整備B国際紛争解決で対話と交渉を重視C気候変動で建設的な役割D世界により良い将来への希望を与えた、ことを挙げています。

 大統領就任から9ヶ月足らずで、実績の少ない段階での授賞は極めて稀であります。それだけに、私は心からオバマ大統領を祝福するとともに、授賞を決めたノーベル賞委員会の英断に心から拍手を送りたいと思います。

 「核なき世界」はオバマ大統領が4月5日「核兵器のない世界」の実現に向けチェコのプラハでの演説で示した包括的構想です。「核兵器を使用したことがある唯一の国として米国には道義的な責任がある」と言明し具体的な行動を取ると宣言しました。

 国連安全保障理事会では自らリーダーシップを取り9月24日、核軍縮・不拡散をテー マにした初の首脳会談を開催。米国が提唱した「核兵器のない世界」に向けた取り組みをうたった決議案を全会一致で採択しました。

 核廃絶は人類の悲願ですが、最大の核保有国である米国の大統領が「核のない世界をつくろう」と積極的に行動するのは画期的なことだと思います。

 オバマ大統領は授賞決定を受け、ホワイトハウスで受諾声明を発表。核廃絶の取り組みは「一人の指導者や一カ国では達成できない」と述べ、世界各国の協力を呼びかけました。

 今回のノーベル賞委員会の英断は、米国のオバマ大統領に世界を変えてほしいとの願望を託したものと言えるではないかと私は思います。

 オバマ大統領の核廃絶への責任は今回の受賞により、いよいよ重くなりました。核のない世界へ向け、妥協することなく理想に邁進してほしいと私は心から思います。

2009年9月1日
 総選挙の結果は民主党の圧勝でした。これから民主党を中心にした連立政権が発足することになりますが、外交や安全保障などの基本政策に大きな違いのある政党が連立を組みますので他人事ではありますがやはり気になります。

 とともに高速道路の無料化や、子ども手当ての実施、農業者への戸別所得補償制度などの公約がどのように具体化されるのか。また、公務員制度改革や、無駄な経費の削減がどこまで大胆にできるのか国民は厳しい眼で新政権の実行力を見つめています。

 徹底して規制緩和を進めた小泉改革が格差を拡大したことは事実です。行き過ぎた格差を是正することは大切と私も思います。しかしながら経済の成長力を考えない単なる格差の是正は社会主義に陥る危険をはらんでいます。大きな政府への回帰にもなりかねません。

 百年に一度といわれる経済不況からの脱出が急務です。経済の回復なくしてこの国の社会保障政策は語れないのです。税の設計も社会保険料の設計も実体経済が躍動しない限り絵に描いた餅となってしまうのです。

 国の経済も一人ひとりの国民の生活も元気を取り戻す経済政策の実行を私は新政権に期待します。今の日本には一日の政治の停滞も許されません。せっかく不況の底が見えるところまできた景気対策の歩みを止めるようなことはしないでほしいと思います。

 選挙のとき「自民党には不満がある」「民主党には不安がある」といっていた有権者が多くいました。不満が爆発して民主党が圧勝したわけですが、国民の多くが今も民主党に不安を持っていることは事実です。

 その不安が解消されなければ民主党は一気に国民の信を失うでしょう。そうすればこの国の国民はいったい何を信じればいいのでしょうか。政治不信はいよいよ深刻になり、国民は絶望の渕に立たされます。

 これから始まる民主党の政治にケチをつける心算はありませんが、そんな心配を抱きながら民主党のお手並みを拝見しているのが大方の国民ではないでしょうか。そんな国民を心から納得させ、共鳴させるようないい仕事をしてもらいたいと私は思っています。

 

2009年8月21日
 衆議院選挙の投票日まであと9日、マスコミは競うように当落の予想を報道し始めました。前日まで「各党とも国民受けする話ばかり並べて、この国をどんな国にしたいのか肝心なことを何一つ語っていない」などと厳しく報道していたのに早々と結果の予測をしているのです。

 私も各党のマニフェストを丹念に読みましたが、いくら読んでもこの国をどんな国にしたいのか今一つはっきりしたメッセージが伝わってこないことにもどかしさを感じています。

 世論調査ではまだ投票する人や党を決めていない有権者がたくさんいるようです。この方々は自分の一票をどう使うか真剣に考えているからこそ、まだ態度が決められないのではないかと私は思います。

 今回の選挙は考えれば考えるほどに重要な選挙です。明日の日本の進むべき方向を決定する天王山のような選挙です。この選挙の持つ意味の深さを感じれば感じるほどに慎重にならざるを得ないのではないでしょうか。

 立候補者の方々は、これからが選挙の本番だとの気持ちでまだ態度を決めていない人々の心の琴線に触れるような政見を語っていただきたいと思います。

 有権者は誰も自分の一票に自信満々で投票したいのです。候補者の語る政見に心から共鳴して一票を行使したいのです。投票は権利であって義務ではないのです。

 マスコミの報道は報道として受け止める。けれどもそれにとらわれることなく自分自身で考えて自分の意見で投票したいとほとんどの人が思っているのです。

 衆議院選挙は代議士を選出する選挙です。自分の代弁者として国権の最高機関である国会で活躍してくれる人を選ぶ選挙です。

 とともに議院内閣制を採っているこの国では衆議院選挙は政権を選ぶ選挙であり、今回の選挙はその意義を一層鮮明にしています。まことに大事な選挙です。お互いに悔いのない一票を投じたいものです。

2009年7月29日
 米中両政府による初の包括的な戦略経済対話がワシントンで開かれ28日、2日間の討議を終えて閉幕しました。

 今回の経済対話の特色は両国間の問題ばかりでなく、経済対策、エネルギー・環境問題、核拡散防止、テロなど国際的な脅威の抑止など世界が直面する問題が取り上げられたことです。

 オバマ米大統領は会議の冒頭「米中関係が世界のどこの2国間関係より重要だ」と述べました。そして国際社会で中国が強力なメンバーとなることを歓迎する考えを明らかにしました。

 共同声明によると米国は自国消費に依存した体質を改め、中国は米国への輸出に依存した体質を改め、米国は貯蓄率を、中国は消費の国内総生産を引き上げる措置を取ることになりました。

 また、米国は危機脱却後、大型景気対策や量的緩和政策など危機対応策を元に戻し、財政赤字を「持続可能な水準」に引き下げると表明。中国はサービス産業の発展や社会保障改革に取り組むことを表明しました。

 一方、エネルギー消費で世界の2大大国でもある米中両国は地球温暖化問題の対処に共通の役割があることを認識し、地球気候変動とエネルギー・環境の協力強化に関する覚書を結びました。

 クリントン国務長官とともに米側の代表を務めたガイトナー財務長官は終了後の記者会見で「われわれは両国のみならず世界経済のバランスの取れた成長に向け、広範囲な協力の枠組みで合意した」と会議の成果を語っています。

 日本では8月30日の総選挙の投票日を目指して各党のマニフェストが出揃いました。今こそこの国をどうするか、この世界をどうするかといった大きな視点からこの国の政治を語ってもらいたいものです。

 揚げ足を取り合いような小さな論争をしているときではありません。そんなことにうつつを抜かしているといつの間にか日本そのものが世界の国から忘れられてしまうのではないでしょうか。

 衆議院の選挙制度に小選挙区制度が採用されて以来、日本の政治家は小粒になったとよく言われます。私もそう思う時があります。大向こうを唸らせるような説得力のあるそして人間的な魅力のある候補者に投票したいものです。

2009年6月21日
 議員立法による臓器移植法改正案が衆議院で可決されました。今回の改正案の最大の特色は「脳死は一般に人の死」と位置づけたことです。

 脳死を人の死と考えるかどうかは死生観にかかわる重大な問題であるとする立場から、脳死を一般に人の死と位置づけたこの法案に対して慎重な意見があります。

 法案は参議院に送られました。参議院ではこの点について多くの国民が理解し納得できるようしっかりした議論を展開していただきたいと思います。

 1997年10月に施行された現行法は、本人が生前にドナーカードなどの書面で臓器提供の意思を示し、家族が同意した場合に限って脳死を人の死と認めています。

 脳死は一般に人の死なのか、臓器提供のためにある特別な人の死なのか。この点をしっかり議論していくことが一番大切なことであると私は思います。

 私は脳死は一般に人の死であると理解しています。現行法の国会審議のときもそう主張し、そう法案に書くべきだと今回の法案提出者の中山太郎さんに言ったことがあります。

 もう十数年前のことになってしまいましたが中山さんが「本来はそうでしょうね」とおっしゃっていたことを懐かしく思い出します。当時のことを中山さんが覚えていらっしゃるかどうか判りませんが、私は今回の法案通過を感慨深く受け止めさせていただきました。

 私が脳死を一般に人の死であると思いますのは、人の生命の座は脳幹にあり、脳幹を含む全脳の死は人にとってまぎれもなくポイント・オブ・ノーリターンつまり不可逆的停止であると確信するからです。

 従来人の死は三兆候を診断して医者が死と認定していました。つまり脈拍と呼吸の停止そして瞳孔の拡散です。

 ところが人工呼吸器の普及により生命の座である脳が死んでもまるで生きているかのように見える状態がしばらく続くのです。

 もちろん脳死の認定には慎重の上にも慎重を期すことが必要ですが「脳死を一般に人の死」と位置づけた今回の法案の意義はまことに大きいと私は思います。

 繰り返しますが、臓器移植のために脳死を論ずるのではなく、人の死としての脳死を真正面から論じてほしいと私は思います。参議院での活発な議論を期待しています。

2009年5月30日
 静岡県浜松市三ケ日町で句碑の除幕式がありました。かつてこの地で活躍した百合山羽公さんの俳句精神を後世に伝えようとする人たちの俳句結社「水鳥の会」が平成11年に発刊した俳誌「水鳥」の10周年記念に句碑を建立したのです。

 句碑は大きな御影石で出来ており、奥の細道をたどった蓑傘姿の芭蕉を彷彿とさせるような形に削り出されていました。立派なものでした。

 句碑には150人の作品を刻めるとのことでしたが、除幕式当日は138人の自筆短冊を実物大で刻字していました。余白の12人分は後日の誌友のために使いたいとのことでした。

 句碑除幕式のあと、記念句会がありました。私も選者の一人として参加させていただきました。出句された481句の中から特選句3句、本選句10句、予選句15句を選び出すのですが秀句ばかりで大変でした。

 5人の選者ばかりでなく参加者全員による一般選もあり、これらを加えて総合的な審査が行われました。その結果第1位の句は「新句碑に名の刻まれて聖五月 樋田美代子」第2位は「我が田にも水なみなみと夏来る 石埜恵津子」第3位は「鍵一つ探して暮るる昭和の日 和久田綾子」となりました。

 他にもたくさんの句が表彰の対象になりましたが、この3句は何れも私の心に残る句となりました。とともに生活の中で俳句に親しまれている皆さんの生き生きとした表情が瞼に残りました。

 水鳥の会の代表は、三ケ日町で床屋さんをしている井村経郷さんです。経郷さんは若いとき羽公先生に師事して以来、生涯の師として今も仕えきっています。

 師匠の道を継承していくという思いは羽公先生が亡くなってからより一層強くなっているようです。「水鳥」の発刊もそうですし、今回の句碑の建立もそうです。

 「水鳥」の名は「水鳥の川わかれては夕日さす 羽公」から頂いたといっていました。そして「水鳥の会」の精神は「俳句は自己確認の手立てであり、自然を見つめながら自然に学ぶ」にあるといっています。

 また、「水鳥の会」一門は「言葉を用いて、その時その時の心を形象化し、作品を詠みつつ自身を育む」ことを目標としているともいっています。

 「水鳥」は発刊10年の地方の俳誌ですが、一般の俳誌と違って投句締め切りから発刊まで20日足らずという超スピードで編集されています。

 これもすべて編集長である経郷さんの尽力によるものですが、普通の俳誌に比べると一月も早い刊行を発刊以来続けているのです。

 経郷さんの俳句に打ち込む人生には脱帽するばかりです。今後の一層のご健勝とご活躍を徳島の地よりはるかに祈っています。

2009年4月25日
 高校の同窓会で福島県の会津地方に行って来ました。私の高校は徳島県立徳島工業高校です。機械科は50人でしたが、卒業以来、熱心に世話役を引き受けてくれる人があって日本の各地で同窓会をしてきました。

 今回は初めての東北地方での開催でもあり、幹事の方々のご苦労は大変なものがあったと思います。配慮の行き届いた運営で楽しい1泊2日を過ごさせていただきました。

 82歳になる担任の先生も元気に参加され、懇親会では趣味のオカリナで懐かしい曲を演奏してくれました。長い石段の上り下りには苦労されたようですが、終始お元気なご様子で安心しました。

 バスを借り切って猪苗代湖、野口英世記念館、五色沼などを見て回り、猪苗代湖の見える山荘に宿泊。翌日は白虎隊自刃の地である飯盛山に登り、鶴ヶ城を見学。江戸時代の宿場町のたたずまいがそのまま残る大内宿も散策しました。

 野口英世記念館では英世が1歳のときに火傷をした囲炉裏や母シカからの手紙を見ました。息子英世に帰ってほしいと切々とうったえる母の手紙は聞いたことはありましたが、実物を見るのは初めてでした。

 英世の自筆によるメリー夫人の肖像画や風景画も展示されていましたが、見事な油絵でした。新しい英世像に出会ったような気持ちがしました。

 白虎隊自刃の地には19人の墓が並んでいました。享年は16、17歳でした。手を負傷していたため死に切れず、救出された1人はその後逓信省の役人になって天寿を全うします。その方も今は同じ19人と同じく鶴ヶ城を見下ろす飯盛山に眠っていました。

 鶴ヶ城は会津23万石の城ですが、戊辰戦争で約1ヶ月間の篭城戦を戦い抜き荒れ果ててしまいました。天守閣は明治7年陸軍省の命令で取り壊されたのですが、昭和40年、昔の姿そのままに復元されました。

 天守閣の最上階から眺めた四方の風景はまことにのどかでした。庭園には遅い桜がまだ咲き競っていました。若葉がきらきらと輝いて見えました。

 大内宿には江戸時代の宿場町のたたずまいが今も残っていました。ここは参勤交代の大名が次の宿場町までの昼の休憩場所として使ったといわれています。

 藁屋根の茶屋が軒を重ね、本当に心が落ち着く風景でした。名物の高遠蕎麦は葱を箸にして食べるのですが、大変おいしかったです。

 高校を卒業して47年。お互いに健康に気をつけまた元気に再会しましょうと約束して帰途につきました。幹事の皆さん本当にありがとうございました。

・白虎隊自刃の地なり桜散る・初燕大内宿の大藁屋・鶴ヶ城茶室の前の糸桜(和良)

2009年3月13日
 「お母さんは生きていますよ。こんなふうに会える日がきっとあると思います」金賢姫元朝鮮工作員は北朝鮮が拉致した田口八重子さんの長男、耕一郎さんを抱きしめて語りました。

 「お母さんに似ている。早く会いたかったのに私の事情で(遅れて)すみません」とも話して涙ぐんだそうです。

 金賢姫さんは1987年の大韓航空機爆破事件の実行犯。死刑の判決を受けましたが、特赦で社会に復帰し、韓国で静かに暮らしていたようです。

 田口八重子さんは、北朝鮮に拉致されたあと1981年から1983年まで金賢姫さんと一緒に暮らし、日本語を教えたそうです。

 二人は姉妹のように仲がよかったそうです。「八重子さんが窓の外を眺め、幼い二人の子供に会いたいと泣いていた」と金賢姫さんが語ったこともありました。

 それだけに金賢姫さんには耕一郎さんが他人のように思えなかったのかもしれません。「大きくなったわねえ」と涙を流し、「私が韓国のお母さんになります」とまで言いました。

 二人の抱擁の場面はまるで母と子の対面を見るようでした。そして「八重子さんがこの席にいたら、どれだけ良かったか」と語る金賢姫さん。それは拉致被害者の一日も早い帰国を願う私たちの思いでもあります。

 それにしても拉致問題の解決にはあまりにも時間がかかり過ぎています。今回の金賢姫さんとの面会にしてもそうでした。金賢姫さん自身は早く会って自分の知っていることを話したいと思い続けていましたが、今まで実現しませんでした。

 金賢姫さんが公の場に姿を現すのは1997年12月以来でした。日本政府は数年前から面会を求めてきましたが、韓国の前政権は北朝鮮を刺激することを憂慮して応じませんでした。

 日本人拉致問題での協調に前向きな現政権になって初めて面会が実現したのです。ことほど左様に政治が人間と人間の間を遮っているのです。この壁を何としても溶かさなくてはなりません。

 国家のための政治から人間のための政治へと変換をさせなければなりません。そんなことを私は強く思いました。

2009年2月16日

 街の本屋でオバマ大統領の就任演説と大統領選挙の勝利演説をCDにした演説集を見つけたので買って帰りました。

 CDを聴きながら演説の英文を読んでいます。英文の隣のページに和文が付いています。演説を聞きながら感じたことがありました。

 まず第一にオバマ大統領は詩人ではないかと思うほど演説全体に詩心があふれていること。言葉の切れがよく、声のトーンもよく、いつの間にかうっとり聞き惚れてしまうほどでした。

 しかも演説の中身が、よく聞く日本の政治家の演説の中身とはまるで違っていること。自分のことを語るのではなく、アメリカを語り、アメリカ自身がその建国の歴史の中に内在している力を今再び、発見しようと呼びかけていることです。

 聞いているアメリカの国民一人ひとりにアメリカの偉大さを語り、百年に一度の危機にあるアメリカの再建は必ずできるという自信を蘇らせているのです。

 CDを繰り返し聴いているとよくわかるのですが、聴いている国民一人ひとりも大統領の演説によく応えています。共感の拍手がそれをよく物語っています。

 オバマ大統領の演説を聞きながら、日本の政治家はもう一度演説のあり方そのものを考え直してもらいたいと私はつくづく思いました。

 政治家の演説はなんといっても聞く人に勇気と希望を蘇らせるものでなくてはなりません。そんな視点から考えると日本の政治家の演説ほどつまらないものはありません。

 日本の政治家の演説の多くは国会での活動報告であったり、枝葉末節と思うほどに細かい政策の羅列に過ぎないことがよくあります。

 日本のマスコミの報道の仕方にも問題があるのかもしれませんが、この国にはとにかく木を見て森を見ない、というより葉を見て木を見ない議論が多すぎるように私は思います。

 今年は必ず総選挙があります。日本の政治家は今こそこの国を再建する方途を明確に語るべきです。その志を明らかにすべきです。国民に感動を呼ぶ演説を心から期待しています。

2009年1月22日
 私は、今、オバマ米新大統領の就任演説の草稿全文を読んでいます。200万人もの人々が氷点下の寒天の下、何時間もじっと待ち続けて聴いた演説を暖かい部屋で読ませてもらっています。

 全文は「恐れでなく希望を選んだ」「立ち上がり、再建しよう」「イラク撤退、温暖化防ぐ」「新時代への責任を」の4章節からなっていますが、読むほどに感動が込み上げてきます。私なりに共感した部分を以下に要約して列挙してみます。

 「全米で自信が失われ、アメリカの没落は必然で、次の世代は多くを望めない、という恐れがまん延している。だが、アメリカは克服する。恐れではなく、希望を選んだ。争いの代わりに団結を選んだのだ」

 「アメリカの偉大さは与えられたものではない。自分で手に入れたものだ。我々は今でも地上で最も繁栄し強力な国だ。だが、過去に固執し、狭い利益しか守らず、面倒な決定は後回しにする時代は終わった。今日からは、立ち上がり、ほこりを払い、再建の仕事に取りかかろう」

 「市場が正しいか悪いかも、我々にとっての問題ではない。富を生み出し、自由を拡大する市場の力は比肩するものがない。だが、今回の金融危機は、注意深い監視がなされなければ、市場は制御不可能になり、豊かな者のみを優遇する国は長く繁栄することはできないことを我々に気付かせた」

 「先人がミサイルや戦車を使うのみならず、信念と確固たる同盟を持ってファシズムや共産主義に勇敢に立ち向かったことを思い出そう。先人は軍事力だけが我々を守るのではないことや、またそれを好き勝手に使えないことを知っていた」

 「我々はこの遺産を引き継ぐ。我々は責任を持ってイラクから撤退し始め、イラク人に国を任せる。そしてアフガンでの平和を取り戻す。核の脅威を減らすために努力し、地球の温暖化とも戦う」

 「新しい責務を果たすべき時代だ。米国人一人ひとりが自分自身や国家や世界に義務を負っていることを認識し、こうした義務を嫌々ではなく、喜んで受け入れることだ。困難な仕事に全力で立ち向かうことほど、精神を満たすものはない。これが私たちの自信の源泉だ」

 「なぜ男性も女性も子供たちも、人種や宗教を超えて就任式に集ることができるのか。なぜ60年前は地方のレストランで差別された父親の息子が、皆さんの前で宣誓式に臨むことができるのか。これこそが我々の自由、我々の信条の意味なのだ」

 「アメリカはかつて建国の父たちがしたように、希望と美徳を持ってこの氷のように冷たい流れに勇敢に立ち向かおう。そしてどんな嵐が来ようとも耐えよう」

 「将来、我々の子孫に言われるようにしよう。試練に立たされたときに我々は旅を終わらせることを拒み、たじろぐことも後戻りすることもしなかったということを。自由という偉大な贈り物を前に送り出し、それを次世代に無事に届けたのだ、ということを」

 わずか18分の演説と聞いていますが、本当に中身の濃い、格調の高い名演説であったと私は思います。それにしても日本の政治家の演説の何とお粗末であることでしょうか。心を揺さぶる政治家のいないことを嘆くばかりです。

2009年1月12日
 今年も沢山の方々から年賀状や、メールをいただきました。あわただしかった正月が終わって少し時間が出来ましたので改めて読み返しています。

 新聞社の方の賀状には「昨年は『変』の年。今年は『大変』の年になる予感です」とありました。本当にそうかも知れません。

 北京の中国人の友人は「日本も中国も大変な不況で、中日友好が停滞するのではないかと心配しています」とメールをくれました。

 私はその北京の友人に「『疾風に勁草を知る』という言葉があります。風が強ければ強いほど本物かどうか試されるのです。ともどもに日中友好の根を両国にしっかりと張らせましょう」と返事しました。

 昨日、私は徳島県日中平和友好会の新年会で二十年来お付き合いしている中国人のご夫妻に会いました。お二人はハルピンから留学生として徳島大学に来たのですが、緑と人情に溢れた徳島が好きになり、結婚して定住します。

 ご主人は徳島の会社に就職し、奥様は中国語の教師として活躍。お嬢さんは徳島の小学校、中学校、高校で学び、現在は大学四年生。今年は大学院に進み、薬学の研究に励むとのことです。

 徳島で生活し始めたときは言葉はもちろん生活習慣の違いにずいぶん苦労したそうです。それでも周囲に沢山応援してくれる人がいて、いよいよ徳島が好きになり、思い切って家族で日本人に帰化したと言っていました。

 百年に一度の大不況で世間には冷たい風が吹きすさんでいます。でも暖かい話や嬉しい話が全くないわけではありません。

 今日は成人の日。平成元年に生まれた若者が晴れて大人の仲間入りをします。新成人の皆さんが新鮮な発想と勇気ある挑戦で、世の中に新しい夢と希望を沢山作り出してくださることを私は心から期待しています。