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2003年12月17日
 公明党の神崎武法代表と遠山清彦参議院議員がクウェートに出発しました。現地の状況を見て可能ならイラク国内にも入る予定のようです。

 出発に先立ち、神崎代表は「陸上自衛隊の派遣については、どの時点で派遣するかという判断が求められるので、私の目で直接、現地の治安状況やニーズなどを見ておきたい。党の最高責任者として自分の目でしっかり見ておくことが大事だと判断した」と語っています。

 これに対してマスコミの報道は「視察団は官邸の頭越し。事故が起これば派遣計画の見直しを迫られると首相周辺は不快感」「外務省が日本人の国外退去を求めているイラクに与党幹部が行くのは極めて異例」「自衛隊派遣に慎重論が根強い支持母体への配慮か」「素人が行って何がわかる。迷惑なだけ」などまことに次元が低い。

 私は神崎代表とは衆議院初当選の同期生として20年間いろいろなことを語り合い、行動してきましたから、彼の考えることそして行動する気持ちがよくわかります。

 イラクへの武力行使が始まる直前、国連に駆け込み「あなたがフセインを説得すべき」とアナン事務総長に直談判。最後の最後まで戦争回避への努力を国連に促したのも神崎代表でした。

 それは国連に行くべきだという私の意見を静かに聴いてくれた数日後のことでした。アメリカへの飛行機の中からまだアポは取れていないけど必ず会って来るよ。といつもの寅さん(これは神崎代表のあだ名です)らしいすばやい行動ぶりでした。

 今回のイラク行きも事前の根回しは無かったのでしょう。それはテロを避ける意味でも当然のことだったかも知れません。しかし私はこれこそ寅さんらしい決断と思います。

 国家の意思として自衛隊を派遣する重い決断をするのですから、派遣の前に与党の最高責任者として自分自身の目で現地の治安状況を見ておきたいと考えるのは当然過ぎるほど当然なことではないでしょうか。

2003年12月15日
 イラクを占領統治する連合軍暫定当局のブレマー行政官は米軍がイラクのサダム・フセイン元大統領を13日に出身地の北部ティクリット近郊で拘束したと昨日、記者発表しました。

 記者発表はブレマー行政官の「ウィー・ガット・ヒム(我々は彼を捕らえた)」で始まりました。拘束は4月9日の政権崩壊から249日目のことであり、会見場にはイラク人記者達の大きな歓声が上がりました。

 ブレマー行政官は「イラク人にとって歴史的な瞬間だ」とも語りましたが、私もそうなることを祈っています。イラク復興には新しいイラクを創るイラク人自身の団結が大切と考えるからです。

 フセイン元大統領が生存のままだ捕されたことはよかったと思います。なぜならイラク統治評議会が設置する旧政権の大量殺人や人道に対する罪を問う特別法廷にフセイン元大統領の身柄を引き渡すことができるからです。

 記者会見に同席したイラク駐留米軍のサンチェス司令官は、まだ引き渡すかどうかは決めていないと述べましたが、私は引き渡すべきと考えます。

 軍や治安機関による恐怖政治で24年間もイラクを支配し続けてきた独裁者をイラク人自身が裁く政治的意義はまことに大きいと考えるからです。それが実現すれば民主化への大きなスタートとなることは間違いないでしょう。

 もう一つ私が期待したいことは戦争開始の大義名分だった大量破壊兵器開発の実態解明です。大量破壊兵器があったとすれば、その開発の最高責任者を生け捕りにしたのですから、なんとしても実態解明を急ぐべきでしょう。

 イラクの各地で頻発しているテロがなくなり、治安が回復する日を世界中の人々は待っています。フセイン元大統領の拘束という「歴史的瞬間」をイラクの人々は民主化への大きな一歩にしてほしいと私も願わずにいられません。

2003年12月4日
 恐れていたことが起きてしまいました。イラク復興支援のために昼夜心血を注いでいた二人の日本人外交官とイラク人の運転手が何者かによって殺害されました。誠に痛恨の極 みであり強い怒りを覚えます。

 この事件が起きた現状から見て、今、自衛隊を派遣すべきかどうか。その是非が改めて問われています。確かにテロに屈することは許されません。国際社会もテロという無差別大量殺人の撲滅では意見の一致を見ています。

 私が思うことはイラクの復興支援は自衛隊のように自己完結的な組織でなければできないということ。これは自明の理ではあるけれども派遣の時期、場所、業務、部隊の規模は、慎重の上にも慎重に判断すべきということです。

 マスコミでは「日本は体面ばかりにこだわっている。アメリカのいいなりになっている」などとよく報道されていますが、日本政府はここではっきりした日本としての態度を決定すべきでしょう。

 その態度決定の基本は「年内」とか「アメリカ」にこだわらず、「憲法」の精神や「イラク復興支援法」の趣旨にこだわるものであってほしいと思います。

 戦闘地域には派遣しない。自衛隊は派兵ではなく派遣である。これが「イラク復興支援法」の趣旨なのです。したがって非戦闘地域の設定ができなければそもそもこの法律は適用できません。

 自衛隊が法を無視して行動するようなことがあっては断じてなりません。それゆえに国家の意思として自衛隊を出す政府は慎重の上にも慎重であるのはむしろ当然のことなのです。

 

2003年11月10日
 第43回総選挙が終わりました。公明党は3議席増の34議席を獲得。自公保連立政権は275議席を得、絶対安定多数である269議席を超えました。四国比例区では公明党の石田祝稔氏が当選し、私もバトンタッチすることができて喜んでいます。皆様のご支援に心から感謝いたします。

 今回の選挙結果を見て特に感じることは民主党が総選挙の直前に何の政策合意もなく自由党を丸呑みするかたちでできたにもかかわらず大きく躍進したことです。

 政権の枠組みも示さず、にわかづくりのマニフェストも国民の人気取りに終始する杜撰なものであったにもかかわらず、こうした結果が生まれたことは不思議な気もします。

 参議院の議席数を考えれば政権をとることはとても考えられないことであったはずです。にもかかわらず、国民は民主党のいう政権交代を本当に信じたのでしょうか。混乱が必至の政権に何を期待したのでしょうか。

 私は決してそうではないと考えます。にもかかわらずこうした結果になったのはなぜなのか。私はその秘密は選挙制度にあると思います。確かに小選挙区300比例代表180というこの選挙制度は大政党に有利であり、無理にでも2大政党を作り出す仕組みになっているのです。

 擬似2大政党でも2大政党となるのです。これがこの選挙制度といえるでしょう。共産党、社民党、保守党は選挙制度の犠牲になったといえるかもしれません。公明党がそうなるハンディを覆して議席増を勝ち取ったのは見事なものといえるでしょう。

 大きくなった民主党に私が期待したいのは政権をとるなら誰もが納得できる政権構想と安全保障や予算編成も含めた総合的なマニフェストをつくることです。

 次の参議院選挙は憲法問題も含めたこの国のかたちが争点になるのではないかと私は思っています。そうした骨太のマニフェストで政権を争ってほしいものです。

2003年10月27日
 第43回総選挙は明日28日に公示され、11月9日の投開票へ向けて選挙戦に入ります。
私はすでに発表している通りこの選挙には立候補せず、政界を引退するのですが公示日には松山市で3人の公明党比例区候補とともに第一声を行い、有権者の皆様に公明党への更なるご支援をお願いしてこようと思っています。

 今回の選挙に立候補を予定しているのは300小選挙区と比例代表(定数180)単独を合わせ25日現在で約1060人。最終的には2000年6月の前回選挙から約200人減り、1200人程度の少数激戦となる見通しです。

 新聞では自民党と民主党の二大政党が対決とか、自民党の政権か民主党の政権かを選択する選挙であるなどの報道がされていますが、私は少し違うのではないかと思っています。

 確かに小選挙区と比例代表選挙区が並立する現在の選挙制度では特に小選挙区で民意の集約を期待していますから選挙制度を通して二大政党制を作ろうとしていることは確かだと思います。

 けれども現実の日本の政治を見ると国民の意識はいよいよ多様化し現に単独で衆議院と参議院の過半数を占める政党はありません。したがって連立政権の時代となっているのです。これは当分続く日本の政治形態であろうと私は思いますし、最近の世論調査でもそうあってほしいと願う国民が最大多数を占めています。

 したがって政権を選ぶということは日本においてはどんな連立政権を選ぶのかということであり自民党か、民主党かを選ぶのではないと私は思うのです。

 総選挙は政権を選ぶ選挙である。それは日本においては政権の枠組みを選ぶ選挙となる。
であれば各党は連立政権の構想を示すことが現実的です。それをしないでわが党だけでというのはまさに空想の世界、虚構の上の政権構想といっていいのではないでしょうか。

 国会は衆議院だけではありません。解散のない参議院の勢力を見ればどの党が衆議院で単独過半数を獲得しても参議院では連立しなければ政権を維持することはできないのです。
こんな自明の理も知らない政党に政権を語る資格はありません。

 選挙戦では国民の受けを狙っていろんなことをマニフェストに載せるかもしれません。
よく言われることですが自分が自分がという人ほど信頼できないものです。選挙もたぶんそうだと思います。そんな気持ちで正邪を見破っていきたいものです。

2003年10月17日
 衆議院が解散し、私は政界を引退しました。東京の事務所と宿舎から、今日、引越荷物が徳島の自宅に届きました。20年間住んでいましたので荷物の整理は大変でした。引越しは私にとっては大仕事でした。

 でも東京の秘書の皆さんをはじめ家族や友人など12人もの人たちが手伝いに来てくださり、大雨にも逢いましたがお陰さまで作業はスムーズに進み、事務所も宿舎も綺麗に明け渡して徳島に帰ってくることができました。皆様に心からお礼を申し上げたいと思います。

 徳島での荷物の整理はこれからですがとりあえずは倉庫にそのまま入れておいてゆっくり荷解きしたいと思っています。「荷物を開けるのはお孫さんになるのではありませんか」と秘書の方に言われましたがそうなるかも知れません。

 ちなみに私にはまだ孫はいませんが、政治に興味を持つ孫が生まれておじいちゃんの時代の政治を研究する資料にでもしてくれればそれはそれで望外の喜びです。

 現役時代の私は「整理とは捨てることなり」と心得て実践してきたつもりなのですが、それでも20年経つと捨てられないものが溜まるものなんですね。あれもこれもに思い出がありましてね。

 最近はメールの時代だということを痛感します。今回の引退にも世界中の友人からいろいろな励ましのメールをいただきました。「まだゆっくりするのは早いですよ。総選挙に勝利して後輩にバトンタッチする大仕事がありますよ」とワシントンから今もメールをいただいたところです。

 明日は坂口厚生労働大臣が「ねんりんぴっく徳島2003」出席のため来県します。その後は高松市で医師会の皆さんと懇談したり公明党の時局講演会に出席します。私も同行して後継者として総選挙に出馬する予定の皆さんを全力で応援したいと思っています。

 また選挙戦では候補者とともに四国中を街頭演説して公明党の支持を皆様に訴え続けたいと思います。国民の目線から政治を考え日本の明日を確かなものにするのは公明党以外にない。そんな私の確信はいよいよ深まるばかりです。

2003年10月8日
 IPU(列国議会同盟)は1889年6月に発足。主権国家の議会代表が参加する国際組織で、様々な政治制度を持つ国家の立法機関による対話や議会外交が行われています。

 その第109回会議が2003年9月30日(火)から10月3日(金)までスイスのジュネーブにあるジュネーブ国際会議場(CICG)で開催されました。

 日本国会代表団は、団長を瓦力衆議院議員、副団長を有馬朗人参議院議員とし、衆議院から伊藤英成議員と私、参議院から勝木健司議員の計5人で構成されました。

 私にとっては衆議院議員として最後の国際会議への出張であり、国会開会中でしたが、日本の議会代表としてしっかりした議論を展開したいと決意して参加しました。

 わが国にとって大きな課題であったIPU執行委員選挙ではアジア・太平洋地域グループから3人を選出する選挙で瓦力団長が第一位で当選。第二位の中国、第三位のタイとともに執行委員を務めることになりました。

 会議では3年以上にわたって分担金を滞納している米国など7カ国に対して加盟資格停止が決定されたり、来年春の開催地と決定していたロンドンが、タイに変更されるなど途上国の強い意思が反映した局面が随所に見られました。今後の国際会議運営の難しさを痛感せざるを得ませんでした。

 今回の会議の主要な議題は@安全保障を確立し、平和のための国際協力を行う多国間機関を支援するための議会の役割A地球公共財・議会にとっての新たな課題B良き統治、議会制民主主義の発展及びグローバル化に対する新情報通信技術の貢献、の三つです。

 私は良き統治、議会制民主主義の発展及びグローバル化に対する新情報通信技術の貢献について意見を表明しました。

 とくに情報社会育成のための国家戦略の実施における先進国と途上国の相互協力の重要性、途上国において電力、通信、教育その他の基礎的インフラ整備を進める自助努力の必要性、また報道の自由や国民一人一人の情報アクセスの自由を訴えました。この私の意見は決議案に盛り込まれ、本会議で採決されました。

 今回の会議では、韓国、サウジアラビア、ドイツ、ロシア、アセアン諸国、ナイジェリア、南アフリカ、パナマなど数多くの国の代表とも積極的に意見交換する機会があり、日本の動向が世界の国々の注目を集めていることを実感しました。

2003年9月28日

 第157回臨時国会が始まりました。この国会では衆議院の解散・総選挙が予想されています。したがって今期で引退する私にとっては最後の国会になります。そこで国会開会日の公明党両院議員総会で市川雄一さん、青山二三さんとともに引退の挨拶をさせていただきました。

 私は初出馬以来23年、初当選以来20年の長きに渡ってご支援いただいた皆様に心から御礼申し上げるとともに同僚としてご協力いただいた国会議員の皆様にも心から感謝申し上げました。

 また私の決断によって党の世代交代に貢献できるのは大きな喜びであり、そのためにもこの総選挙では大勝利してバトンタッチしたいと話しました。さらに引退したあとも一生涯、公明党の熱烈な支援者であり続けたいとも語りました。

 その上で最近の日本の政治に少なからぬ不安を抱いていることも述べました。それは自民党の総裁選挙、第2次改造内閣の発足、民主党と自由党の合併などを通して感じることなのですがどうもこの国では政治の目的と手段が転倒しているのではないか?という懸念です。

 総裁選挙は「改革なくして成長なし」か「成長なくして改革なし」かの戦いだったという人がいますが、私は「改革のあとに何があるのか」をしっかり論じ合ってもらいたかったと思います。国民の皆さんは今、改革の痛みに耐えています。この痛みに耐えぬけばどんな未来が開けるのか。政治は責任を持ってメッセージを送るべきなのに何もしませんでした。

 国民一人一人にとってどんな未来を期待してよいのか。今の政治に問われているのは未来に対する構想力です。国のかたちを示すことです。公明党が「年金100年安心プラン」を提言していますが各党ともに国としてのトータルプランを競い合うべきなのです。

 選挙に勝って政権をとることは政治の目的ではありません。国民の幸せを実現することこそが政治の目的であり、政権をとることはその目的を達成するための手段に過ぎないのです。新しい民主党を作った唯一の目的は政権をとることなどという報道が堂々となされていますが私は違和感を持っています。国民のためにどんな国を作るのか安全保障をはじめ全ての分野で整合性のある政策を発表するのは当然のことでしょう。

 ・二十年昨日の如し虫時雨(和良)この国の政治に対する甲論乙駁は20年前と少しも変わりません。この国の政治は前進しているのか、停滞しているのか本当に心配です。必ずよくするのだという強い一念で国民のための改革に取り組みたいと思います。

2003年9月16日
 阪神タイガースが昨15日、1985年以来、18年ぶり4度目(1リーグ時代を含めると8度目)のリーグ優勝を決めました。地元甲子園で優勝が決定したのは1964年以来、39年ぶりのことでした。

 私もこの日はテレビにかじりついていました。甲子園球場を埋め尽くしたファンの前で行われた星野仙一監督の優勝インタビューにはとくに心を揺さぶられました。

「選手がファンの夢をかなえてくれました」「やっぱりこの縦じまで、この甲子園で、みんなの前で胴上げされたかった」「終わってみればぶっちぎりなんですが、モタモタしまして、でも私の計算どおり、甲子園のファンの前で約束が果たせました」

「6月ごろから長かったなぁ〜、僕は、これをひっくり返されたら、このファンがどういう態度に出るかな、と思うと怖かったですね。まぁ、でも選手を信頼していたから、7月の危機を乗り越え、8月にちょっとつまずきましたけど、選手を信じました。本当に選手はよくやってくれました」

「選手も私の罵声(ばせい)を浴びながら、これまでよく耐えて、相手にも耐えて、ファンの声援にも耐えて、ファンのヤジにも耐えて、ここまでやってくれました」

「(ファンの皆さんに)皆さん、良かったね。選手も本当に18年間という苦しい時代を乗り越えて、皆さんの前で夢に日付を書けることがとうとうできました。寒い日から、この甲子園でも、必死になって、ファンのために、そして18年ぶりの夢をかなえてくれた選手にもう一度拍手をしてやってください」

「いろいろな意味でシーズンはまだ終わっておりません。10月中旬から始まる日本シリーズ。またこうして皆さんの声援をバックに、選手は日本一を目指して戦い抜きます。ありがとう。本当にありがとう。ありがとう!」

 いいインタビューでした。1985年のリーグ優勝後17年間でAクラスはわずか2度。ここ10年間に限れば4年連続最下位を含めすべてBクラスと低迷した「ダメ虎」を見事に再生した星野仙一監督でした。

「男仙一夢をありがとう」甲子園球場の横断幕が阪神ファンの気持ちを語っていました。監督は選手のおかげといい、選手はファンあればこそといい、ファンは夢をかなえてくれたのは監督だという。この美しい人間関係こそ阪神タイガースの強さなのだと私は思いました。

2003年9月7日
 私は超党派日露友好議連代表団の一員として、ロシア連邦を訪問。サンクトペテルブルグとモスクワで政治会談を行ってきました。

 会談した相手は、サンクトペテルブルグでは、プロパレンコ市副知事。モスクワでは、コサチョフ国家院議員、アファナシェフ第1アジア局長(外務省)、ザドルノフ国家院議員(対日グループ代表)、ヴォロビヨフ国家院議員、ボナス国家院副議長、シャローノフ第1次官(経済発展貿易省)などの方々です。

 会議の内容は多岐に渡りますが、主に領土問題、経済と投資の拡大、文化交流などでした。一方、北朝鮮問題、イラク問題をはじめ、ロシアが直面している京都議定書の批准やWTO加盟など当面する課題についても活発な意見の交換ができました。

 私は2001年12月、2002年6月に続いて3回目の訪露でしたが、今回は双方ともに下院の総選挙が行われる直前という大変に難しい時期になってしまいました。

 関係者の皆様はその点で大変に苦労されたようですが、そんな中にもかかわらず一つ一つの会談が実現したのは、両国ともに日露関係の重要性に対する認識が一致していたからだと私は思います。

 サンクトペテルブルグは建市300年でにぎわっていました。日本からの観光客も急増しており、貿易の拡大や日本企業の進出にも期待がもてるとのことでした。

 モスクワの国家院や外務省、経済発展貿易省での会談で特に印象に残ったことは、若い世代の率直な話しぶりでした。例えば、日露関係の経済交流が旧ソ連時代の水準にも達しないのは、という私達の質問に対して、責任は全てロシア側にあると回答するのです。

 固定観念やイデオロギーにとらわれないこうしたプラグマチズムが若い世代の考え方なのかも知れません。市場経済のルールを大切にし、WTOの加盟や京都議定書の批准を推進する。こうした動きが若い世代を中心に高まっていることにこの国のエネルギーを感じました。

 日本の投資が不良債権化したという私の指摘に対しても、二度とデフォルトを起こさない。そして二度と日本の経済投資に迷惑をかけない。そのために財政を再建し、外貨準備高を急増させたと語る若い世代の顔は自信にあふれていました。

2003年8月30日
 産業再生機構がようやく支援第一陣となる企業3社を決めました。この機構は、優れた商品や技術を持ちながら多額の借金に苦しんでいる企業を再生させるために、国や銀行が出資して今年4月設立。5月に業務を開始していたものです。

 私は設立当初から最初の取り組みに全てがかかっていると、衆議院の内閣委員会でも谷垣禎一担当大臣に申し上げてきました。それだけに今後の推移を注目したいと思います。

 機構設立の目的は、救済困難な企業を“延命”させることではなく、企業のなかで将来性や採算性を見込める部分を大胆に切り取って再生させることにあるといってよいでしょう。

 機構の取り組みが成功すれば、企業は借金の重圧から解放され、金融機関は不良債権を減らすことができます。

 そうすれば元気な企業が増え、銀行も身軽になって融資が増えれば景気も良くなることでしょう。こうした産業界全体の構造改革も視野に入れているのです。

 機構は、支援する企業の価値を洗い直します。そして銀行が持つこの企業への債権を「時価」で買い取るのです。再生にめどがつくと機構は債権を第3者に売却します。そのときの価格が買い取り価格を下回れば機構は損を出し、最終的には国民の負担となります。

 したがって国民の負担を回避するためには再生によって企業の価値が上がり、企業が収益性を高められるようにしなければなりません。

 繰り返しますが機構の目的は企業の“延命”ではなく“再生”にあります。それは最終的な国民の負担を回避するためにも断じて達成しなければならない目的なのです。

 支援第1陣の取り組みがこの目的を成就すれば国民も理解し、企業や銀行の期待もふくらむことでしょう。第2陣、第3陣と続き、日本の産業界全体の構造改革につながれば本当にうれしいことです

2003年8月18日

 私は日本・ルーマニア友好議員連盟の一員として9年ぶりにルーマニアを訪問してきました。8月4日には、チョントゥ・ルーマニア日本友好議員連盟会長、ドルネアーヌ下院議長、チアンバ外務次官と会見しました。

 8月5日には、ヴァカロイウ上院議長、ディジュマレスク通商担当大臣(前駐日大使)と意見を交換したあと、イリエスク大統領とお会いすることができました。イリエスク大統領とは9年前の初訪問の折、大統領官邸でお会いしました。初代大統領として激務のなか、しかも健康診断のための検査入院中の病院から駆けつけて下さったことが印象に残っています。

 昨年は日本ルーマニア友好100周年を記念して来日され、私も在日ルーマニア大使館で再会しました。このとき大統領から直接「次はいつルーマニアに来ますか」と声をかけていただき思わず「できるだけ早く実現できれば」とお答えしたものでした。

 今回は夏季休暇中のため、当初は大統領との会見は難しいかも知れないとのことでした。しかし大統領自身の判断で会見が実現しました。

 会見の会場となったのはブカレスト市郊外の大統領の別荘でした。会場に着くと大統領自身が出迎えて下さいました。私が「大統領との約束を実現できてうれしいです」と言うと「よくいらっしゃいました」と暖かい笑顔で歓迎してくれました。

 会談では、ルーマニアの経済発展と教育文化の振興などがテーマになりました。チャウシェスク独裁政権崩壊後14年、ルーマニアは4度目の自由選挙を経て民主化が定着。国内的には市場主義経済への移行、対外的にはEU及びNATOへの加盟が重要問題となっています。

 9年前に比べて町並みも人々もすっかり明るくなった印象を伝えると大統領はいつもの笑顔を見せながらも「まだまだ課題は多いのです」と非効率な国営企業の民営化が遅延していることや、新産業を担う人材の育成が課題であることなどを率直に語りました。

 現在、日本ルーマニアの両国関係は良好です。ルーマニアに滞在する日本人関係者との懇談でも大きな懸案は提示されませんでした。けれどもヨーロッパ全体から見れば日本から一番近いにもかかわらず相変わらず遠い国であることは変わりありません。私自身、ルーマニア滞在中一人の日本人観光客にも会いませんでした。

 今年は両国交流の新しい100周年への最初の年です。ルーマニアは中・東欧で唯一のラテン系民族国家で、人々は陽気で明るく、カルパチア山脈の南に位置するブカレストはかつて「バルカンのパリ」と呼ばれたこともあります。私はこの国の発展とこの町の人々の幸せを祈りながら日本に帰ってきました。 

2003年7月28日
 第156回通常国会は190日間の会期を終え、今日閉幕しました。この国会では、有事関連三法やイラク復興支援特別措置法、個人情報保護関連五法など政府提出の126法案のうち122本が成立しました。

 このほか議員立法では、ヤミ金融への規制を強化する改正貸金業規制法・出資法や性同一性障害者性別特例法など16本も成立しています。

 法案の成立数は戦後3番目の多さと聞きます。野党は終盤国会で法案の成立を阻止するため派手なパフォーマンスを繰り広げましたが、実を結びませんでした。最初から阻止できないと知りながら行うパフォーマンスほど虚しいものはありません。

 衆議院本会議場では内閣不信任決議案が審議されました。野党提案者の提案理由説明や、野党各党の賛成討論を聞いていて私はこの国の政治があまりにも低俗化してしまったことに深い失望を感じざるを得ませんでした。

 内閣不信任決議案は与野党が真正面から激突し、国会が一歩も進まなくなったときに出されるものです。私も何回か経験してきましたが、国会中がピーンと張り詰めた空気の中で出されるものでした。

 ところが今回は、まるで会期末のセレモニーのように提案され、その中味も政策論争というより言葉尻をとらえた揚げ足取りの寄せ集めといった誠に空粗なものでした。こんなことをしていると国民の政治不信はいよいよ深まるばかりだと私は思いました。

 総選挙が近いと言われています。総選挙は政権を選ぶ選挙です。他党や対立候補の揚げ足取りではなく、正々堂々たる政策論争をぜひとも展開したいものです。

 この国のかたちをどう考え、どうしようとしているのか。任期中に何をどこまで実現するのか。政党そして候補者は国民にはっきり約束するべきでしょう。そうすれば国民はその政策やマニフェストを比較するとともに政策実行能力まで勘案して見事な選択をしてくれるに違いありません。

2003年7月9日
 18年ぶりの優勝へひた走る阪神に、昨8日マジック「49」が灯りました。まだオールスター戦の前、梅雨も明けていない時期での点灯はとても珍しいことです。

 2年前まで4年連続最下位だったチームにセ・リーグ史上最も早い「カウントダウン」が始まったのですから、阪神ファンの喜びはもう爆発寸前といってよいでしょう。

 優勝の瞬間をライブで見たい!と8月末から9月初めの入場券の争奮戦も一層の激しさを増しているようです。すでに10倍の値がついているものもあり、人気は高騰するばかりと聞きます。

 7月6日に大阪市で徳島県人会近畿連合会総会があり、私も出席しました。ここでびっくりしたのは、祝賀会のフィナーレを飾る阿波踊りがなんと「六甲おろし」で始まったことです。

 阿波踊りを「六甲おろし」のリズムで踊る。あまり考えたことのない組み合わせでしたが、それが見事に合っているのですね。まあ一言で言えば、みんなの喜びが爆発しているというのでしょうか。関西人の熱い思いがガーンと伝わってきました。

 7月8日の東京株式市場で日経平均株価が1万円台を回復しました。昨年の夏以来、約10ヶ月半ぶりです。今年4月28日にバブル後最安値の7603円76銭まで転落していた株価がようやく大台に戻ったことは嬉しい限りです。

 株価は景気の先行指標といわれています。まだまだ早合点はできませんが、長いデフレ不況を克服し、もう一度元気な日本を創り出すきっかけとしたいものです。

 連続最下位のチームに優勝へのカウントダウンが始まりました。長期不況の底で喘いでいた日本経済にも再生へのカウントダウンが始まったと私は受け止めています。

 「今季は、選手が伸び伸びとプレーしている。チームのムードの明るさが、強さの最大の要因だ」と50年間阪神を見続けてきたファンが語っていました。

 私は、官から民へ、国から地方へ、の改革を更に進め、それぞれが持てる力を存分に発揮できる社会を創造したい。今こそ構造改革、規制改革に邁進すべきだと訴えておきたい。

2003年6月24日
 私、今期で政界を引退し、次期総選挙には出馬しないことにいたしました。昨23日、地元徳島県庁で記者発表させていただきました。

 37歳で初出馬して以来23年、40歳で初当選して以来20年。誠に長い間、たくさんの皆様から常に暖かい御支援をいただいて参りました。

 なかんずく公明党の党員、支持者の皆様、創価学会の会員の皆様、母校の徳島市立加茂名小学校・中学校、徳島県立工業高校、国立静岡大学の同窓生の皆様、そして後援会の皆様をはじめ、各界各階層の皆様から深い御理解と力強い御支援をいただいてまいりましたことに心から感謝申し上げます。

 私は常々、政治家は選挙に出るときはみんなに決めてもらうが、辞める時は自分で決めるべきだと考えてきました。今もその考えは益々強まっています。

 今年5月、私は還暦を迎えました。世間では定年の年です。私と同期に入社した人達からも引退したとの知らせをたくさん頂きました。

 公明党には任期中に66歳を超えないという定年制があります。そこから言えば少々早いのですが、私自身、もともと政治家の定年は自分で決めるべきと考えてきましたので、世間の皆様とともに還暦をもって定年と区切りをつけさせていただきました。

 後援会の皆様からは、様々な御意見をいただいたのですが、最終的には本人が決めたことだからと快く同意して頂きました。

 引退後はどうするのですか。とよく聞かれますが、それは早過ぎる質問です。いつ解散になるかわかりませんが、任期中は全力で仕事をしたいと考えています。

 また次期総選挙は、四国の党選対本部長として頑張り、見事な世代交代を果たしたいと決意しています。

 “終わり良ければ全て良し”という言葉があります。どんな有終の美を飾ることができるか、一人の人間としてこれからも挑戦し続けたいと考えています。引き続いての皆様の御理解と御支援を心からお願い申し上げます。

2003年6月19日
 政府の経済財政諮問会議は18日の会合で、国と地方を通じた税・財政の「三位一体の改革」を小泉首相の判断で決定しました。主な内容は次の通りです。

 まず第一に、国庫補助負担金については「改革と展望」の期間である2006年度までに広範な検討をさらに進め、概ね4兆円程度を目途に廃止、縮減等の改革を行う。その際、公共事業関係の国庫補助負担金等についても改革する。

 第二に「改革と展望」の期間中に、廃止する国庫補助負担金の対象事業の中で引き続き地方が主体となって実施する必要のあるものについては、税源移譲する。その際、税源移譲は基幹説の充実を基本に行う。

 税源移譲に当たっては、個別事業の見直し・精査を行い、補助金の性格等を勘案しつつ8割程度を目安として移譲し、義務的な事業については徹底的な効率化を図った上でその所要の全額を移譲する。

 第三に地方交付税の改革については「改革と展望」の期間中に、交付税の財源保障機能全般を見直して縮小し、交付税総額を抑制する。

 こうした取組み等により、交付税への依存体質から脱却を目指す。また、不交付団体の人口の割合を大幅に高めていく。

 以上ですが、今後はこの原案をもとに与党と調整した上で6月下旬にも閣議決定される見通しです。私自身は「三位一体」の改革を行う第一歩としては、まあこのあたりかな、と理解しています。

 一部に具体策がなく、実質的に結論を先送りしたものではないか。という批判があることも承知しています。そうした批判を覆すためにも、来年度の予算編成が誠に重要であると私は思います。

2003年6月10日
 今年7月1日から本州四国連絡道路の料金が値下げされることになりました。

 新特別料金は現行特別料金よりさらに1割引き(基本料金より28%引き)となります。

 たとえば普通車の場合、神戸淡路鳴門自動車道では神戸西ー鳴門間5450円(現行6050円)、明石海峡大橋(垂水ー淡路)2300円(現行2600円)、大鳴門橋(淡路島南ー鳴門北)1150円(現行1300円)。

 瀬戸中央自動車道では早島ー坂出間4100円(現行4600円)、瀬戸大橋(児島ー坂出北)3500円(現行3900円)。

 西瀬戸自動車道では西瀬戸尾道ー今冶間4700円(現行5250円)、来島海峡大橋(大島南ー今冶北)1700円(現行1900円)などです。

 このほか、各種の割引制度も新特別料金と同様に7月1日から適用されます。

 たとえばETC特別割引では、ETC車使用の場合、1回の通行について新特別料金から5・5%割引(基本料金より32%引き)されます。

 またETC前払割引や別納割引を利用するとさらに格安料金となります。

 本四公団では、その債務処理に当たって関係自治体からの出資延長をお願いしてきました。今回の料金値下げはその見返りともいえるでしょう。

 関係自治体からの強い要望にこたえたものとして私も値下げを歓迎したいと思います。

 今になって四国に三つの架橋は無駄な投資だったなどという無責任な声を聞くことがありますが、そんな後向きの議論からは何の果実も生まれません。

 現にあるこの社会資本をどう未来に生かしていくか。どう活用していくか。という前向きの建設的な議論を今日の料金値下げをきっかけに起こしていきたいものです。

2003年5月29日

 衆議院憲法調査会に4小委員会があります。私は最近2つの小委員会に出席して参考人から意見を聞きました。

 まず国際機関と憲法をテーマにした安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会では

@米国は、米国のみが力を持ち、世界の平和を守り、世界を導くという考え方の下、世界の国に「米国かそれ以外か」という選択を迫っている。実質的に米国が平和を保障する唯一の存在となった場合、米国と国連の関係についてどう考えるか。

A9.11の米国に対するテロにはどのようなメッセージが含まれていたと考えるか。武力によってテロリズムをなくすことはできない。具体的にどのような対応をすればテロリズムをなくすことができると思うか。

Bテロリズムを生む土壌は何か。の3点についてお聞きしました。

 次に明治憲法と日本国憲法をテーマにした最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会では

@明治憲法の骨格や思想の源泉は、坂本龍馬の「船中八策」にあるとは考えられないか。

A明治憲法はまず憲法が公布された後に議会が開設されているという経緯をたどっている。通常は制憲議会などで議論が行われてから憲法が制定されるという順番だと思うが順番が逆転している。どう思うか。

B明治憲法下において軍部が独走したことについては、憲法自体に問題があったのか憲法を運用した政治に問題があったのか。の3点について意見を伺いました。

 憲法調査会についてマスコミはほとんど取り上げませんが、大変に重要な議論を重ねていると私は自負しています。従来憲法といえば、まず護憲派と改憲派に色分けしてから論じられることが多かったように思います。憲法は不磨の大典として床の間に飾っておくのではなくこの国のかたちを示す国の最高法規として常に議論していくことは大切なことであると思います。それは立法府の使命であるといえるかも知れません。

 憲法調査会では地方公聴会も行っています。5月の金沢市に続いて6月には高松市で開催される予定であり、私も金沢市に引き続いて出席したいと思っています。現在、意見陳述者を公募していますが、どんな意見を聞かせていただけるか楽しみにしております。

2003年5月19日

 徳島県の出直し知事選挙は18日投開票され、飯泉嘉門氏(42)=無所属・新/自民、公明(徳島県本部)、保守新推薦=が大接戦の末、初当選しました。飯泉氏は全国最年少の知事となります。

 新知事に期待したいことは何といっても混迷と停滞の県政を正常化してほしいことです。徳島県ではわずか1年8ヶ月の間に3回も知事選挙を行うという全国でも稀に見る混乱を繰り返してきました。

 今回の選挙を通して県民は混乱の継続を望まず、安定を望んだことは間違いありません。新知事は自らに託されたそんな県民の思いをしっかり受けとめてもらいたいと心から思います。

 飯泉新知事の選挙公約は@都道府県の情報公開度ランキングで2年以内にべスト10入りA「汚職調査団」の答申尊重B産学官連携でベンチャー企業を育成し、4年間で起業数を3倍増にC温室効果ガス総排出量を2010年段階で1990年対比10%削減、などまことに具体的です。

 D1、2年以内に厳密な地域防災計画を策定。知事直轄組織の構築など南海地震対策を拡充E延長保育、事業所内保育や病児保育の導入を推進F審議会や管理職で女性の比率が4割以上となるよう人材登用を配慮GIT講習の受講者を今後3年間で10万人にH四国初のJリーグチームの実現、なども見られます。

 「いずれも重い公約ですが、できるものからどんどん実現していく」と新知事は語りました。その肉声を私も確かに聞きました。公約は政治家の生命です。大事にしてもらいたいと思います。

 前知事は掲げた公約をほとんど果たせないまま失職せざるを得ませんでした。あいつぐ公約後退にいや気がさした支持者もいたようです。それが今回の厳しい選挙戦で競り負けた要因の一つとなったのでしょう。

 「徳島の有権者の政治感覚は鋭い」とよく言われますが、真実その通りだと私も思います。1年8ヶ月に及ぶ県政の混迷は県民にとってまことに迷惑な事でした。けれどもそこから徳島県民は新しい光を見つけ出したのです。

 長い混乱と混迷は全国で一番若い知事を産み出すための陣痛だったのかも知れません。

2003年5月15日

 有事法制関連三法案が本日、衆議院本会議で修正議決され、今国会で成立する見通しとなりました。

 国の安全保障に関る基本的な法律は、本来与野党の立場を超えて議論し結論を出すべきであり、今回野党の賛成も得て成立することは大変よかったと思います。

 修正案では、基本的人権の最大限の尊重を明記したほか@有事の際、政府が決定する対処措置を国会の議決で終了させるA武力攻撃事態法案の一部条文の施行を国民保護法制が整備するまで凍結するーなどを盛り込んでいます。

 修正案の中味もさることながら「戦後50年、有事というものを議論することさえタブー視されてきた。その問題で与党と野党第一党が合意したのは画期的なこと」という小泉首相の言葉には実感が込もっていました。

 一昨年の9・11同時多発テロ以来、世界は変わったと私も思います。日本では特に北朝鮮の動向がまことに気がかりです。そうした背景もあり、安全保障の問題が憲法論争から現実的で建設的な政策論争へと変わったのかも知れません。

 「備えあれば憂いなし」はこの法案の審議に入る時の小泉首相の発言でした。危機が起こった時のことを考えていない政治は政治でないとも言われています。

 しかしもっと重大な政治の役割はいうまでもなく、危機を起こさないことです。備えに頼るのではなく、有事としないための平時の真剣勝負の取り組みこそ政治家の仕事でなければならないと私は思います。

 平和とは何か。従来「戦争の不在」が平和ととらえられてきましたが、それでは十分でありません。それは消極的な平和といえるでしょう。

 ヨハン=ガルトゥングは平和を「暴力の不在」と定義しました。そして「暴力とはある人の潜在的な将来実現可能性の剥奪」といったのです。私はそんな積極的な平和を創造していきたいと決意しています。

2003年5月4日

 2日、ブッシュ米大統領がイラクの戦闘終結を宣言しました。3月20日の戦闘開始から約6週間、比較的短時日のうちにいわゆるイラク戦争が終結したことを心から歓迎したいと思います。

 戦闘終結後の焦点はイラクの本格的な復興であり、これが成功してこそ本当の終結と言えるでしょう。与党3党の幹事長がイラクを含む中東に飛び、その方途を探っています。現情では米国の復興人道支援局の支援体制が先行していますが、早い段階で国際協調を実現したい。

 小泉総理も訪欧して各国首脳と意見交換していますが今こそ国連がイニシアチブを取るべきであり、リーダーシップを発揮して国連自身の信頼を回復できるよう米英にも強く要請していくべきでしょう。

 暫定統治を経た本格的なイラクの民主化への移行に当たってはイラク人自身の意向を尊重しながら進めることを忘れてはなりません。それを国連がサポートする形がいいと思います。

 日本は水、食糧、医薬品などの緊急支援はもちろん、憲法の枠内でできるかぎりのことを独自の判断でやっていきたいものです。また、復興支援はイラクだけでなく周辺地域にも役立つようにすべきです。

 大量破壊兵器の完全破棄は、国連安保理が過去12年間に17本の決議を重ねてイラクに課してきた責務ですがその行方はいまだに解明されていません。

 今回のイラクへの武力行使の本来の目的が、大量破壊兵器の完全廃棄にあったことからも徹底的に捜索し完全廃棄を完遂することが米英の務めでもあるでしょう。

 国際社会が抱える難問としてイスラエルとパレスチナの衝突があります。イラク問題もこれと深くかかわっています。この問題は中東地域のみならず世界の平和と安定に直結する極めて大きな課題であることを忘れてはなりません。この機会に中東和平のためあらゆるチャンネルを生かした外交努力を日本政府に期待しておきたい。

2003年4月30日

 第15回統一地方選挙で公明党は前半戦(道府県・政令市議選)に続き、後半戦(一般市議選、東京特別区議選、町村議選)でも全員当選しました。

 統一選完勝は結党以来初の金字塔です。党員・支持者の皆様の温かく熱いご支援に心から感謝申し上げます。

 四国でも県議会議員選挙に9人、市議会議員選挙に45人、町村議会議員選挙に24人の計78人が全員当選しました。

 愛媛県新居浜市では定数4減にもかかわらず過去最高得票で3から4へ議席を回復しました。香川県高松市でも接戦を制して議席を5から6へ増加させています。高知県高知市では定数40に対して8議席をいずれも上位で獲得することができました。

 今回の統一地方選完勝で公明党の議員総数は4年前より223人増え合計3488人(衆院31.参院23.都議会22.道府県議会184.政令市議会157.東京特別区議会197.一般市議会1827.町村議会1047=28日現在)になりました。

 女性議員も増えました。道府県議17人.政令市議24人.一般市議305人.東京特別区議42人.町村議149人の計537人が当選し、総数で881人と過去最高になりました。

 この結果、公明党の議員は4人に一人が女性であるという画期的な時代に入りました。女性の世紀をリードする快挙といえるでしょう。

 全ての議員は一人の住民のために手をつなぐ。これは公明党ならではの伝統です。これからも生活に根差したアンテナを地域にはりめぐらせて生活与党・公明党の存在感をますます高めていきたいものです。

2003年4月25日

 構造改革特区の第一次分として全国で57の特区が誕生しました。地域のことは地域にまかせる。そんな考えのもとに各地域で知恵をしぼったアイデアがいよいよ具体化します。

 四国では徳島県海部町がふるさと教員制度特区に指定されました。海部町では従来より「ふるさと教員制度」として、地域社会と密接に結ばれた助教員を学校現場に配置し、特色のある教育を行ってきました。

 今回の特区指定により、現行制度では実施できない学級担任や教科担任もできることになり、喜ばれています。

 香川県では高松市と三木町の区域の一部が糖質バイオクラスター特区に指定されました。香川インテリジェントパーク、香川大学及び香川医科大学がある当地域では、糖質バイオ系分野で世界水準の研究開発が進められています。

 今回の特区指定は産学官の連携をより推進し、新規産業の創出・育成を図るものと期待されています。

 小豆島の内海町もオリーブ振興特区として指定されました。これは企業自らが町内の遊休農地でオリーブを栽培し、栽培から加工まで一体的に行う新しいビジネスを起こせるようにしたものです。

 5月には57に加え、新しい特区が追加認定される予定です。6月には3回目のアイデア募集を行い、10月には「どぶろく特区」などの申請受付が行われます。

 地方と地方の競争はいよいよアイデアを競争する時代になったようです。四国の各地でもそんな競争をしたいものです。そうすればこの国はきっと変るはずだと私は思います。

2003年4月14日

 統一地方選前半戦の道府県議選・政令市議選、知事選・政令市長選が終わりました。

 公明党は44道府県議選と12政令市議選に324人の候補を立てましたが全員が当選しました。

 四国の県議選でも松山市選挙区(定数14)で1位、2位。高知市選挙区(定数15)で1位、2位、4位。高松市・直島町選挙区(定数14)で5位、6位。徳島市・佐那河内村選挙区(定数13)で6位、7位という好成績でした。

 し烈な選挙戦にもかかわらず完全勝利させていただけましたのは支持者の皆様が岩にツメを立てるような思いで一票一票を積み上げて下さったおかげです。改めて心から感謝申し上げたいと思います。

 選挙戦はいよいよ後半戦に突入します。一般市議選、東京特別区議選は20日(日)、町村議選は22日(火)に告示され、ともに27日(日)が投票日です。

 前半戦と違い後半戦はより地域に密着したうえに短期決戦ですから、より激しい票の争奪戦となることでしょう。場合によっては一票を争う僅差で勝敗が決することになるかも知れません。

 勝ってかぶとの緒をしめよということわざがありますが、今一度心を引き締めていきましょう。後半戦も攻めの戦いで先手必勝の拡大を続けていきたいものです。

 前半戦に続いて後半戦も完全勝利が私達の目標です。この目標が達成されますと、公明党の議員総数は3,489人になります。

 しかもその4分の1強が女性です。女性の時代を先駆ける新しい公明党の誕生といえるかも知れません。

 しかし、もっと意義深いことは国会議員も地方議会議員も3,489人という全ての公明党議員が住民のために手をつなぐ。そんなネットワークが日本中の全ての地域に誕生することです。

 政治を国民の手に取り戻す。これは公明党の初心であり私の初心でもあります。その初心を貫くネットワークが今、具体的な形になって作られようとしています。まことにうれしいことです。

2003年4月1日

 徳島県議会に不信任された知事が失職し、5月中旬に知事選挙が行われることになりました。知事の失職で知事、副知事、出納長の三役が不在となったことは前代未聞の異常事態です。

 加えて2001年9月、2002年4月に続いて2003年5月とわずか1年8ヶ月の間に3回も知事選挙が行われること自体まことに異常なことと言わざるを得ません。何故こんなことになってしまったのか。いたずらな感情論に走るのではなく冷静に考えてみたいと思います。

 地方自治法17条(議員及び長の選挙)では「普通地方公共団体の議会の議員及び長は、別に法律の定めるところにより、選挙人が投票によりこれを選挙する」と定められています。つまり知事も県議会議員もともに直接選挙で選ばれるのですからともに民意を代表する存在であるわけです。

 本来民意を代表する両者は互いに尊敬しあい車の両輪として県民全体の福祉の向上に尽力すべきです。それが地方自治法の期待するところだと思います。

 ところが徳島県の場合、副知事や出納長すら決められないなど、その混迷と停滞はうんざりするばかりでこんなことがこれからも続くことを考えると県民があまりにも不幸です。議会が出直しの決意を込めて知事不信任案を可決したことは当然のことだと私は思います。

 この不信任案に対して「不信任されるような失政はない」と言っているのですから議会を解散するのが地方自治法に定められた本来のルールでしょう。まさか失職した知事が再出馬するなどということはありえないことであり、地方自治法は想定もしていません。

 何故失職した人が再出馬するのか私にはとうてい理解できないことであり、法の想定していない抜け道を選んだ枯息さを悲しむばかりです。

 議会は解散しませんでしたが、あらかじめ予定されていた統一地方選挙が行われるのですから、これを出直し選挙とすることができます。そして5月には文字通り出直しの知事選挙が行われます。

 この両選挙で徳島県が混迷と停滞から出直すことができるようひたすら祈っています。

2003年3月20日

 米英などによるイラクへの武力行使が本日開始されました。平和的解決を願い続けてきただけに武力行使という最後の手段に至ったことは誠に残念です。

 日本は軍事的行動に参加しませんが、こうなった以上、一刻も早く戦争が終結し、事態が解決されるよう祈るばかりです。

 心配される難民について公明党では小泉首相に即刻申し入れしました。首相も難民支援に全力を尽くすと即答しました。

 改めて確認しておきたいことは、そもそもこうした事態に至った責任はサダム・フセイン大統領にあり、イラク国民にはないということです。

 今、世界が直面する最大の脅威は、大量破壊兵器が拡散しテロリストの手に渡ることです、そうなれば世界中のどこにでもテロが起きることになります。

 テロが起きる可能性は日本も否定できません。大量破壊兵器拡散の危険性が最も高い国こそ独裁者、サダム・フセインが支配している「イラク」であることを考えますと、「イラク問題」はどこか遠い国の話ではないのです。日本自身の問題でもあるのです。

 イラクは1990年のクウェート侵攻以来、過去12年間17本の国連安保理決議を無視し続け、大量破壊兵器を完全廃棄する義務を怠ってきました。

 国連査察団によりますと、イラクにはスプーン一杯分で200万人を殺傷する炭疽菌を約1万リットルも保有しているなどが報告されています。実際に自国民に対してマスタードガスを使用した前歴もあります。

 「反戦・平和」を口で唱えているだけでは本当の「平和」はつくり出せません。今回の武力行使は独裁者の手にある大量破壊兵器を廃棄し、全世界の平和と安全を創造するための「やむなき決断」といえるでしょう。

 とはいえ、武力行使が一日も早く終結し、国連の枠組みを尊重した平和復興活動が力強く展開されることを祈らずにはいられません。

2003年3月18日

 フセイン・イラク大統領は48時間以内に亡命を。と、ブッシュ米国大統領が最後通告しました。事実上の開戦予告と言ってよいでしょう。

 ところでイラク問題の本質はイラクが17回にもわたる国連決議を踏みにじり、大量破壊兵器を廃棄しなかったことにあります。

 国連は昨年11月の第1441決議以降、米英等の軍事的圧力を背景にしてギリギリの努力をしてきました。けれどもイラクは未だに武装解除に応じていません。

 公明党も平和的解決めざして最後の最後まで独自の外交努力を重ねてきました。戦争回避のための行動にどこよりも真剣に取り組んできたと自負しています。

 ここにきて、米国は国連安保理の新しい決議を得られないままイラクへの最後通告を突きつけ48時間以内にフセイン大統領が国外に亡命しない限り、武力行使に踏み切ると宣言したのです。

 米国は一昨年の9.11無差別大量虐殺テロ以来、変わったとよく言われます。何事にもおおらかで開明的だった昔の姿は今はありません。いつ外国からテロ集団が襲ってくるかも知れないと真剣に考える普通の国になったように私には思われます。

 イラクの大量破壊兵器がテロ集団の手に渡ってしまったあとのことを考えるともはやこれ以上待てないと思うブッシュ米国大統領の気持ちも理解できないわけではありません。

 けれども国際社会が一致してイラク問題に対応することできなかったことは遺憾と言わざるを得ません。安保理が一致して対応できなかったことは結果として国連の機能を低下させたことは間違いないからです。

 小泉総理は今回の米国のイラクへの対応を支持すると政府見解を発表しました。これはイラクの武装解除を目指してきた米国等の努力を評価するとともに北朝鮮問題を視野に入れて日米関係を重視したいわば苦渋の選択をしたものと理解します。政府の立場としてはやむを得ないものと言えるでしょう。

 私は、戦争回避のため、残された48時間にフセイン・イラク大統領自身が平和的解決のために直ちに行動をとることを要求します。そして日本国政府に対しても政府の立場を国民に明確に説明するとともにギリギリまで外交努力するよう働きかけたい。

 また、国連においても国連の枠組みの中で平和的解決ができるようあらゆる努力を重ねていただきたいと心から期待したいのです。

2003年3月13日

 公明党では浜四津敏子代表代行らを本日から19日までの日程でイランなどに派遣しました。

 イランの政府高官らと会い、大量破壊兵器廃棄を求めた国連安保理決議をイラクが完全履行するよう周辺国にイラク説得への努力を要請するためです。

 浜四津代行はスイス・ジュネーブの国連難民高等弁務官事務所も訪問する予定です。

 イラクの大量破壊兵器の武装解除問題を扱う国連安保理では新決議案をめぐる討議の行方が混沌としてきました。

 仏ロは拒否権行使を示唆しています。米国は新決議案の強行採決を示唆し、できるだけ賛成票を増やそうと修正案を主張する英国との温度差が浮き彫りになってきました。中間派は妥協案を模索して右往左往しているように見えます。

 「もし戦争になればイラクでは1000万人が食料不足に直面し、200万人が国内で行き場を失う避難民となります。さらに120万人が難民となって周辺国に流出します。また500万人は水不足と衛生状態の悪化に見舞われ、100万人の子ども達が恒常的な栄養失調に陥ります」とアナン事務総長は公明党の神崎代表に伝えています。

 戦争が経済に与える影響も深刻です。12年前の湾岸戦争も原油価格の高騰、株価の下落、巨額の戦争負担と重圧が日本経済にかかりました。

 当時はそれを乗り越える体力が日本にはありました。けれども今はどうでしょう。デフレに痛めつけられ、今や湾岸戦争時の23446円の株価が8000円を割ってしまっているのが現状です。重圧を乗り越える体力はないといってもよいでしょう。

 すでに全国のガソリンスタンドで値上げが始まっています。厳しい価格競争を強いられてきたこの業界では、原油価格の高騰を今までなんとか社内の努力で耐えしのんできたものの、もはや価格に転嫁せずには生き残れないところに至ったということでしょう。

 イラク問題の平和的解決めざして最後の最後まで外交努力を重ねる公明党に心から期待したいと思います。

2003年3月6日

 公明党の神崎代表が訪米しました。ワシントンの米国務省内でアーミテージ国務副長官と会談し、イラク問題について米国が最後まで平和的解決に努力するよう求めました。

  ニューヨークの国連本部ではアナン事務総長と会談し、「国連を中心に国際社会が連携して平和的に解決するため最大限の努力を図って欲しい」とする要請書を手渡し、事務総長自身がイラクを訪問し直接フセイン大統領を説得するよう求めました。

  アーミテージ国務副長官は「連立政権の中で重要な役割を果たしている公明党の神崎代表が意見交換のために国務省を訪問されたことを歓迎する」と述べました。

  また「イラクのサダム・フセイン大統領はこれまで国連決議の義務を果たさず、米国を含む国際社会を騙してきたが、米国は今も国連の中で話し合いを続けている。安保理で新決議をとるために100%の努力をすることを約束する」と言明もしました。

  アナン事務総長は「安保理の結束維持の大切さを強調し努力しているが亀裂は深い」とした上で「イラクへ行くには成果が必要だ。今、そのような条件が整っているとは言えない」と答えたようです。

  現在の安保理の状況を見るとき、事務総長の発言はよく理解できます。けれどもこのまま推移すれば国連の存在そのものが問われかねない事態になることを私は憂慮するのです。

  戦後の国際社会にあって国連こそが平和の象徴でした。けれども国連の歴史を見るとき、ある意味でそれは挫折との戦いだったといえるかもしれません。

  何度も何度もその存在が問われる事態が発生しました。けれども人々は最後の最後の局面に至ったとき世界平和のための機関はやはり国連しかないことに気付き、ここでの合意形式に務めてきたのだと私は思います。

  イラク問題そして北朝鮮問題と今、国際社会は解決しなければならない課題に直面しています。この人類の危機を救うことができるのは国連しかないと私は信じたいのです。

 明日7日には国連査察団の報告があります。世界が国連の一挙手一投足に注目しています。21世紀の初頭が戦争でなく平和で始まることを祈念せずにはいられません。

2002年2月26日

 米国は24日、英国、スペインとともに国連安全保障理事会にイラクに対する新たな決議案を提出しました。

 新たな決議案では、イラクは昨年11月採択された国連安保理決議1441で武装解除への最後の機会を与えられたにもかかわらず、その機会を逃がしてしまったとしています。事実上の武力行使容認決議であり、開戦決議といってよいでしょう。

 これに対して直ちに武力行使することに慎重な仏独はロシアとともに対案としてさらに4ヶ月の期限を与えてイラクに武装解除を図らせるとした覚書を提出しました。査察の具体的な道筋も示しています。

 国連安全保障理事会ではこの両案をめぐって緊迫した議論が展開されることになります。一瞬も目が離せない日々が続きそうです。

 新たな決議案の早期の採択を期待する米国は国連査察団が報告する来月7日の直後にも採決に持ち込もうとしています。しかも新たな決議案が採択されなくても武力行使に踏み切る構えを崩していません。

 決議案をめぐる米英と仏独ロ陣営のせめぎ合いはマスコミを通して全世界に伝えられることでしょう。けれどもそれはイラク問題の全てではありません。この問題の本質は米英と仏独ロの対立にあるのではなく、イラクと国際社会の対立にあることを改めて銘記すべきでしょう。

 その意味で国際社会を代表する国連の役割りはまことに大きいものがあり、国連そのものの権威が問われている問題といってよいと私は思います。

 私が期待したいことは、国連のアナン事務総長が直接フセイン大統領に会い、即時かつ完全な武装解除こそ国際社会の総意であることを伝え、説得してほしいことです。

 アナン事務総長は1998年にもフセイン大統領と直談判して戦争を回避した実績があります。平和的解決への唯一の道はイラク自身にあることを訴え、最後の最後まで戦争を回避する努力をお願いしたいのです。

2003年2月14日

 イラク情勢が緊迫しています。本日(日本時間では明15日)国連査察団から国連安全保障理事会に追加報告が行われますが、この報告を受けて米、英がイラク非難を一段と強めるのは必至でしょう。

 けれども早期開戦に反対して国連による査察の継続を求める仏、独、露などの方針転換を引き出すほど明快な報告となるかどうかは不透明です。

 世界は固唾を飲んで追加報告に注目しています。そしてイラク問題が今後どう展開していくのか。そして日本はどう対処すべきなのか。まことに緊迫した日々が続きそうです。

 この問題を考えるにあたり、もう一度なぜ、今、イラクを巡る緊張が高まっているのか。その本質を考えてみたいと思います。

 イラクには大量破壊兵器とその運搬手段である弾道ミサイルを開発、保有している強い疑いが存在します。また化学兵器を使用した実例もあるとされています。

 これらの兵器は無差別でかつ高度な殺傷能力を持っています。こうした兵器をイラクが保有・使用することは国際の平和と安全に対する大きな脅威であり、これらの兵器が国際テロリストの手に渡れば、同時多発テロのような大規模無差別テロが再発する恐れがあります。

 イラクによる国連査察の無条件受け入れ、大量破壊兵器の廃棄は湾岸戦争の際の国連安保理決議によってイラクに義務づけられたものであり、イラク自身も同意したことなのです。けれども今日に至るまで完全に実行されるには至っておりません。

 今、イラク自身が行う事は査察を無条件に受け入れるとともに進んで大量破壊兵器を破棄することです。その事実によって国際社会からの理解を得るしか平和解決への道はないのではないでしょうか。

 一方、米国には平和的解決に最後の最後まで努力する忍耐強さを要望したい。とともに万策尽きて武力行使に踏み切る場合にあっても国際社会全体の一致した合意が前提であり、新たな安保理決議が不可欠であることを私は強く主張しておきたい。

2003年2月6日

 1月31日の施政方針演説で小泉総理は地域が持つ潜在力や魅力を引き出し、日本を再構築したいと述べました。2月3日の代表質問で公明党の神崎代表は日本再発見行動プランを提案しました。

 両者に共通する視点として観光の振興が考えられるのではないかと私は思います。わが国は本来「山紫水明」の自然に恵まれた観光大国ですが、その持ち味がいまだに十分発揮されていないのではないでしょうか。

 今年の年末年始に海外に旅行した日本人は約67万人。年間にすると日本人の海外旅行者数は1600万人を数えるまでになりました。けれども日本を訪れる外国人はわずかに500万人です。その収支は約3兆5000億円の赤字となっているのが実情なのです。

 政府も今年を「訪日観光元年」として個性のある観光地づくりに全力をあげたいといっています。日本の伝統文化や四季に富んだ自然景観は世界各地の観光地の魅力を凌駕するものと私も確信しています。

 内閣府と国土交通省が「観光カリスマ100選」として認定した方々のなかに私も直接お会いしてお話を聞いた方がいます。人口わずか12000人の小さな温泉町ですが、若い女性を中心に年間400万人近い観光客が訪れる大分県由布院の溝口薫平さんです。

 由布院は別府温泉の陰に隠れて、全く注目されることのなかった山間のひなびた温泉地でした。しかもダムの底に沈む計画さえありました。

 溝口さんは町の有志の方々とともに観光地の理想像を求めてヨーロッパへの旅に出ます。そこで学んだこと。それは滞在型の温泉リゾートに必要なのは歓楽街やレジャー施設でなく心なごむ自然環境であることでした。帰国した溝口さんたちは美しい山並みと豊かな水に恵まれた由布院の自然を乱開発から守ることから取り込むのです。

 私は今、由布院を訪問し、溝口さんからそんな思い出を語っていただいたことを思い出しています。その部屋に野の花がさり気なく飾られていたことを今も鮮やかに思い出します。人工のものでなく自然そのものを大切にしていきたい。そんな溝口さんの気概を感じたものでした。

 自然は人間にとって活力の源泉です。溝口さんに由布院を訪れた方々の芳名録を見せていただきましたが、世界中の人々がこの町の自然を愛されていることを痛感したものです。

2003年1月30日

 北朝鮮を脱出した日本人妻が44年ぶりに日本に帰ってきました。これまでに数十名が帰国したと言われていますが、公然と故郷に戻ったのはこの女性が初めてです。中国政府そして日本政府のとった人道的措置に心から拍手を送りたいと思います。

 この日本人妻の女性(64)は川口順子外相宛てに嘆願書を提出していました。この嘆願書によるとこの女性は1959年在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮帰還事業の第1次帰国船で北朝鮮に渡りました。けれども69年に夫が突然、政治犯として連行され、辛い生活が始まったようです。

 この女性は小さな子供2人とともに中朝国境に近い寒村に追放されたといいます。裸電球1個、水道もなく、洗濯は川で行い、秋から冬にかけては山で木を伐採し、薪にして町で売り、生計を立てたそうです。

 60歳を越え、木を伐採する重労働に耐えられず、自分の足で歩けるうちに、そして死ぬ前に日本の土を踏み、死に目に会えなかった両親の墓参りをしたいと昨年11月下旬、中朝国境の豆満江を渡ったというのです。

 女性は「今、中国にいますが、お金がなく、いつ捕まるか分かりません。どうか一日も早く助けて下さい」と日本政府に嘆願した13日後の今年1月15日、中国公安当局に拘束され、今回の帰国に至りました。

 北朝鮮帰還事業ではこの女性が渡った1959年以降84年までに93340人の在日朝鮮人とその家族らが新潟港から北朝鮮に帰還しています。この中にはこの女性のような日本人妻1800人が含まれ、日本人の夫やその子供達を含めると日本人は6800人にもなります。

 この人達は自分の意思で帰還したのですから直ちに今日の拉致被害者と同様に考える事はできないかも知れません。けれども当時「北朝鮮は地上の楽園」などと極端なデマ宣伝を大々的に展開し、帰国熱を煽って同事業を「陰で主導」(産経新聞02年10月21日付)し、結果として93340人の人生を滅茶苦茶に狂わせてしまったのは一体どこの政党なのか。今こそはっきりさせるべきです。

 他党に対して“針小棒大”な言い掛かりをするのではなく、自らが犯した過ちに対してまず真しに謝罪と反省をするのが公党の取るべき態度ではないでしょうか。

2003年1月20日

 第156回通常国会が本日、召集されました。会期は6月18日までの150日間です。この国会では、まず2002年度の補正予算案から審議が始まり、2003年度の予算案や税制改正をめぐって熱い論戦が展開されます。

 国会論戦の前半は経済問題や外交・安全保障問題が焦点となるでしょう。我が国を取り巻く環境はまさに‘外憂内患,の非常事態にあります。デフレ脱却へ政策を総動員し、スピード感に溢れた政治決定をしていくことが何より大切です。

 公明党の神崎代表はデフレ脱却にむけて@両予算案の早期成立、雇用創出・景気浮揚効果の高い公共投資などの前倒し執行A予算関連法案、税制改正法案の早期成立B金融危機回避への速やかな金融対応措置C新産業の育成、雇用創出D政府・日銀の連携、緩やかな物価安定目標の積極的な検討、の5点を強調しています。これらを矢継ぎばやに実行していきたいものです。

 また朝鮮半島情勢については周辺諸国とも連携をとり、平和的な解決に向けた最大限の外交努力を訴えています。首脳による直接対話も考慮すべきでしょう。

 国会論戦の後半は、個人情報保護関連法案や有事法制関連法案、政治倫理の確立などが焦点となるでしょう。個人情報保護関連法案についてはすでに公明党案をもとにした修正案が与党内でまとめられており、2月下旬にも閣法として再提出される予定です。

 有事法制関連法案は衆議院ですでに72時間審議し、与党としてテロや不審船への対策を入れた修正案を国会に提出しています。いまだに対案を出さない民主党は安全保障問題に対して無責任と言われても仕方がないでしょう。

 政治倫理の確立については具体的な政治腐敗防止策として公共工事受注者からの政治献金の制限や公共工事などへの入札行為に国会議員や秘書が一切関与しないための法的措置が必要です。

 改革すべき課題は山積みしています、年内の解散・総選挙も予想され、野党は政府・与党との対決色を強めており、激しい攻防が予想されますが、党利党略にとらわれるのでなく、真に国民のための改革に挑戦していくことが国会議員の務めであることを忘れず、論戦に臨みたいと決意しています。

2003年1月1日

 ・去年の月のこせる空のくらさかな(万太郎)新しい年になりましたが、明るい話題が少なく、先行きの不透明感が漂っている年明けです。

 ワシントンの友人からは「こちらは、いつイラク攻撃が始まっても不思議はない。そんな緊迫した空気です」とのメールをいただきました。

 北朝鮮では昨年末、IAEAの査察官を国外退去させてしまいました。これで核開発を凍結した米朝枠組み合意は完全に崩壊したといえるでしょう。

 日本に帰国した5人の拉致被害者の方々も北朝鮮に残した家族との再会がかなわぬまま新年を迎えました。再会への展望は今も開けておりません。

 デフレ不況も深刻です。このデフレ現象は日本だけでなく、東アジアの国々に共通しているとの指摘も気になります。経済成長率が8%に達する中国でも物価が下がるというデフレ経済にあるというのは驚きです。

 政府はデフレ克服のため様々な手を打ってきましたが、いまも有効な効果をあげていません。国内問題として対処するだけでなく、国際問題として対処する視点も大切ではないでしょうか。

 不透明感にいらだちはつのるばかりですが一つだけはっきりしていることがあります。それはこの4月に全国で統一地方選挙が実施されること。そして衆議院総選挙も日時は確定していませんが、実施されるであろうということです。

 来年の参議院選挙で比例区1000万票を目指す公明党では、統一地方選挙を緒戦に全ての選挙で完勝をめざしています。

 最大の敵は自分自身の中にある。この有名な言葉を徳島県出身の書道家・井上蒼雨さんが私に書いて贈ってくれました。今、東京の私の事務所に飾らせていただいております。

 まず自らに勝つ。このことを肝に銘じて、この1年、全ての戦いに勝利していきたいと決意いたしました。先行きの見えない時代であればあるほど、足元を固め、身近なところから確実に勝利していく。そんな年頭の抱負を固めましたうえで、皆様あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

2002年12月25日

 平成15年度の予算案が閣議決定されました。予算編成の過程でマスコミからの関心はほとんどありませんでしたが、私は関心を持ち続けてきたことがあります。

 国の行政の減量と効率化は図られたのかどうかという問題です。小泉総理は「負担に値する質の高い小さな政府」を実現すると指示しましたが、その基本方針は貫かれたのかどうかという関心です。

 機構と定員の審査は総務省の所管ですので早速調査いたしました。総務省では、審査の過程で@組織・業務の合理化A民間委託等のアウトソーシングBIT化による合理化、を軸に減量と効率化を具体化してきたと言っています。

 例えば、食料事務所業務の定員のうち、今後、主要食糧業務の定員(5900人)を3分の1程度まで縮減するとともに全体の定員(8843人)を約3000人削減するとしています。

 一方、緊要な施策に対しては重点的に増員しています。例えば良好な治安の確保に517人、空港等におけるCIQの体制強化に209人、食品の安全の確保に74人、原子力の安全の確保に70人、公正取引委員会の体制強化に40人、金融システムの安定化に86人、証券市場の構造改革の推進に317人、知的財産の戦略的保護・活用の推進に40人などです。

 新規増員数は全体で3093人となりますが、これは平成14年度の3239人から見れば抑制されているとのことです。

 一方、これに対応する計画削減は4972人ですから純減数は1879人。過去最大級の純減数です。ちなみに平成9年度以降平成15年度までの各年度における純減数は、289,1035,1171,1499,1893,1756,1879とのことです。

 定員削減計画に基づく削減のほか、郵政事業の公社化、造幣・印刷事業等の独立行政法人化で29.5万人の移行減もあります。

 以上の結果、各省庁の国家公務員の定員は約81万人から約51万人と大幅に縮小されていますから、数字の上では「小さな政府」に近づいたといえるでしょう。けれども手放しで喜ぶのは早計です。「質の高い小さな政府」になったのかどうか検証しなければなりません。

 行政は放置しておくと自己増殖します。ですから国民の目からの厳しい監視を忘れてはならないのです。予算案をこうした視点から見ることの大切さを私は痛感しています。

2002年12月13日

 第155回国会が本日終了しました。マスコミからは無気力国会だったなどと酷評されています。確かに民主党にお家の事情があり、野党第1党として政権と対決する迫力に欠けていたのは事実でしょう。それが無気力国会と言われる大きな要因になったのではないでしょうか。

 そうしたなかにあって公明党は与党ではあっても、ときには野党的な役割りも果たして政府に注文をつけ、軌道修正への舵を取り続けてきました。

 経済問題では総合デフレ対策と補正予算の編成を実現させました。当初小泉総理は補正予算は考えていないと言明していましたが現在の深刻なデフレにストップをかけない限り、景気の回復はありえず不良債権の処理も進まないという公明党の主張に耳を傾けざるを得ませんでした。

 また来年度の税制改正大綱の策定でも、企業への先行減税の財源を家計の負担増でまかなうのは筋が通らない、国民の理解も得られないと主張し、特定扶養控除の廃止を断念させることができました。

 配偶者特別控除の廃止には同意しましたが、家計の負担増に対しては家計への歳出で配慮すべきとして、児童手当の拡充を実現させたのはよかったと思います。

 児童手当の具体的な拡充案については、今後、検討を加えていくことになりますが、小学校3年生までの児童を対象とすることになるでしょう。

 北朝鮮による拉致被害者を支援するための法律もこの国会で成立しました。拉致被害者ではありませんが北朝鮮から日本に帰ってきたいわゆる脱北者の方々を救済する方法も今後は考えていかなければならないと思っています。

 また北朝鮮は核関連施設の凍結解除を表明し、電力生産に必要な核施設の嫁動、建設を即時再開することを宣言しました。これは米朝枠組み合意を崩壊させるもので、断じて認められません。

 日朝国交正常化交渉は今のところ暗礁に乗り上げていますが、政府は毅然とした態度で交渉に当たるべきであることを重ねて訴えておきたいと思います。

2002年12月3日

 フィリピンのアロヨ大統領が参議院の本会議場で演説し、私も拝聴しました。フィリピン大統領の訪日はラモス大統領以来で実に10年ぶりのことでした。

 アロヨ大統領の父親はディオスダド・マカパガル第9代大統領(1961年〜65年)。アロヨさんは幼少時から将来を期待され恵まれた教育環境で育ちました。

 米国のジョージタウン大学に留学中は、クリントン前米国大統領と同級生だったそうです。1992年5月に上院議員に初当選。1995年5月の中間選挙では1600万票という史上最多得票で再選され注目を集めたのです。

 1998年5月の大統領選挙では、当初大統領選挙に名乗りを上げたものの、組織力不足で副大統領選に立候補し、圧勝しました。副大統領時代、貧困問題の解決に奔走し、農業の近代化を成し遂げました。

 2001年1月6日「ピープルパワー」がエストラーダ政権を打倒。1月20日、憲法規定に従って副大統領であったアロヨさんが後継大統領(第14代)就任宣誓を行ったのでした。

 アロヨ大統領は当時のことをしのびながら、日本の国会で力強く語りかけました。

 克服すべき課題は巨大であり、脅威は数多くあります。我々はただ勇気と一途な目的を持って前進し続けなければなりません。自由な人々は、敵を克服し、繁栄し、自由で居続けるための能力を自らの手に持っているからです。

 我々の最重要目的は、新世紀の最初の10年で貧困を克服することです。これに成功しなければ、我々は我が国民に完全な力を与えることができません。貧しければ、人々は真に自由ではありえないのです。

 開発は大きな課題です。グローバル化された世界では、単独で開発を行おうとすることは実際不可能です。我々は、このことをよく承知しています。要塞のような経済は枯れ果て、閉鎖された経済は死に絶えます。

 自由と相互依存をテーマにした演説は強い自信と格調に溢れたものでした。議席からも何度も共感の拍手が起きました。私も、日本・シンガポールに続いて、日本・フィリピンの自由貿易協定が、一日も早く締結されることを心から期待しています。

2002年11月25日
 政府・与党は平成14年度補正予算の骨格を決めました。「経済・社会構造の変革に備えたセーフティーネット(安全網)の構築」に1.5兆円。「構造改革推進型の公共投資の促進」に1.5兆円が柱となっています。

 これに社会保障などの義務的経費追加分が1兆円超、今年度の税収不足2兆円超の穴埋め分を加えると総額6兆円超(国費ベース)の規模となります。

 安全網対策では、不良債権処理の加速化に伴う企業倒産や失業などの事態に備えるため、雇用対策を強化したり、中小企業対策を充実します。新産業の育成や学校の耐震化、保育・介護サービス供給体制の整備なども盛り込んでいます。

 また、公共投資は、直ちに着工できるなど即効性のあるものに限り、民間部門の都市開発投資、都市や地方の再生に向けた基盤整備、循環型社会の構築、地球環境問題への対応などに重点を置いております。

 財源については、社会保障費などの義務的経費の追加分は既定経費の節約分を充て、安全網対策と公共投資、税収不足の穴埋めは国債を追加発行することとしています。

 これにより国債発行額が30兆円を超えることになりますが、引き続き財政規律の維持に努め、2010年をメドにプライマリーバランス(基礎的な財政収支)を黒字化する目標は堅持すると小泉総理は宣言しています。

 補正予算の規模について様々な意見があることは承知していますが、財政の規律を守りつつデフレ克服を図るにはどうすればよいか。知恵を結集し、中味の濃いものにしたいと思います。

 平成14年度の補正予算とともに平成15年度の本予算も年末にかけ、同時進行で編成が進むことになります。いわば15か月予算の編成といえるでしょう。日本再生のメッセージが届けられるメリハリの効いた予算となるよう大いに働きたいと決意しています。

2002年11月12日

 街角に公明党のポスターが目立つようになりました。「与直し」とか「生活与党」の言葉が特に人目を引きます。大きく手を広げる神崎代表の姿に爽やかな気合を感じるという人もいます。食パンやおにぎりのポスターは生活感にあふれているという嬉しい声も聞きました。

 公明党は11月2日に第4回党全国大会を開催しました。この大会では神崎代表が再選されました。その神崎代表から私も中央幹事、四国議長に再任され、決意を新たにしています。党大会では運動方針や重点政策も決定しましたが、「与直し」と「生活与党」はこの党大会から生まれた新しい公明党のキャッチフレーズといってよいでしょう。

 「与直し」は「世直し」の間違いではないのかという質問をよく聞きます。これは間違いではないのです。もちろん「世直し」の意義も含んでいるのですが「与党を直す」という意味でもあるのです。与党のなかで公明党としての存在感を発揮していくという決意を表明したものでもあるのです。今までも公明党は与党の中にあって国民のためになる改革にはアクセルを、いわゆる右傾化にはブレーキを踏み続けてきましたが、これからも一層その役割を果たしていこうと決意したことを御理解していただきたいと思います。

 「生活与党」これはもう言うまでもないかも知れません。言葉のとおり「生活者の与党」になるということです。政治は国民のためにある。政治家は国民の公僕である。その決意に立って政治を国民の手に取り戻そう。これは公明党の初心ですが、今こそ全議員が初心に立ち返って国民の与党として大いに頑張っていこうという決意を表明したものと私は受け止めています。

 統一外地方選挙で公明党は現在まで80ヶ月間全員当選を続けています。党員、支持者の皆様のお蔭です。この上げ潮を作って下さった全国の皆様に心から感謝します。

 来年は統一地方選挙の年です。是非とも全員当選を勝ち取りたいと思っています。「与直し公明党」「生活与党、公明党」を国民の皆様に御理解いただけるよう頑張りたいと決意しています。

2002年11月1日

 政府・与党は総合デフレ対策を決定しました。不良債権処理の加速策を含む「金融・産業の再生」。税制改革や規制改革などの「経済活性化に向けた構造改革加速策」。中小企業・雇用への「セーフティーネットの拡充」などが柱になっています。

 まず不良債権処理加速策で政府は当初の急激な会計ルール変更を伴うハードランディング(強行着陸)路線を修正しました。その一方で「2004年度には、主要行の不良債権比率を現状の半分程度に低下させる」と銀行の“貸し渋り”や“貸しはがし”に歯止めをかけています。

 不良債権回収を軸とする整理回収機構(RCC)とは別に再生可能な企業の銀行から債権を買い取る「産業再生機構(仮称)」を創設し、企業再建を支援することにもなりました。

 税制改革では研究開発・投資促進減税や相続税・贈与税見直しなどで1兆円を超える先行減税を実施することも決めました。

 地域金融機関の経営合理化による“貸し渋り”“貸しはがし”を受けた中小企業を念頭に「セーフティーネット保証」の対象拡大も明記しています。

 また補正予算の編成に関しては「今後の税収動向を踏まえ、引き続き必要な措置を検討する」の表現に留めていますが私は編成されるものと期待しています。

 不良債権処理は手段であって目的ではありません。目的はあくまでも経済再生、産業再生です。にもかかわらず不良債権処理や公的資金投入が自己目的化しているのではないかと思われるような議論が展開され、私は心を痛めていました。幸い今回の総合デフレ対策の結論に落ち着き一安心しています。

 この総合デフレ対策を日本が自信を取り戻し元気になるきっかけにしたいと念願しております。

2002年10月18日

 第155回国会が本日、始まりました。会期は12月13日までの57日間です。内閣改造後初めて開かれる国会ですが、課題は内外に山積しています。とくに拉致問題と経済対策は最大のポイントといえるでしょう。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致被害者のうち今回5人の帰国が実現しました。けれどもこれは問題解決の第1歩にすぎません。拉致問題の真相解明はもちろん被害者や御家族に対する支援に政府も国会も全力を挙げて取り組むべきです。

 北朝鮮では高濃縮ウラン製造施設建設を含む核兵器開発を進めていたことも明らかになりました。これは1994年に北朝鮮の核開発凍結を決めた米朝枠組合意に違反しています。

 日本政府は日朝国交正常化交渉の中で拉致問題とともに核開発疑惑も最優先課題として取り上げるべきでしょう。そして北朝鮮に対して核開発の即時中止と核査察の実施を求めることは当然と考えます。

 もう一つの国会の焦点はいうまでもなく経済対策です。私自身、東大阪市や高崎市を訪問して中小企業の事業主から生の声を聞きました。高松市では、各種団体の皆様から悲鳴にも似た訴えを聞かせていただきました。今の日本の実体経済は誠に深刻な状況にあります。

 デフレが続く限り不良債権は増え続けます。金融不安の再燃も避けられません。かといって不良債権の処理を加速すれば企業の倒産、整理、縮小を伴い、雇用不安が一挙に増大する危険があります。

 デフレ進行と不良債権増大の悪循環を断ち切るためにはどうすればよいか。デフレスパイラルから脱却するためには何をすべきか。私は今こそ総需要と総雇用を増大させるための政策を総動員すべきと考えます。一人一人の政治家が大胆に発言し、政府に補正予算と減税の先行実施を強く働きかけていくことが大事であると強く決意しています。

2002年9月28日

 第23回世界連邦日本大会が本日、徳島市で開催され私も出席しました。世界連邦とは世界の国々が互いに独立を保ちながら、地球規模の問題を扱う一つの民主的な政府(世界連邦政府)を作ることです。国際紛争を国家間の武力行使で解決するのでなく、法に基づいて平和的かつ公正に解決しようとするものです。

 徳島県は「世界連邦運動の父」といわれる賀川豊彦(1888〜1960)が幼少期を過ごした土地でもあります。賀川氏は第2次世界大戦後いち早く世界連邦を提唱し1948年8月6日世界連邦建設同盟(現、世界連邦運動協会)を創設して副会長に就任。1960年に死去するまで運動を指導してきました。そんな背景もあり「今こそ世界連邦をー賀川豊彦の精神を生かそう」をテーマにしたパネル討論も行われました。

 私は賀川豊彦の徳島県に全国から集われた皆様に歓迎の挨拶をさせていただきました。とともに世界連邦日本国会委員会のメンバーとして活動してきた体験をとおして2つのことを訴えました。

 1つは世界連邦国会宣言決議を衆議院本会議で行うことの重要性です。1945年12月11日、尾崎行雄氏は30人の賛成議員を得て「世界連邦建設に関する決議」を衆議院に提出しました。けれども審議未了で廃案となってしまいました。決議案の採択はじつにそれ以来の悲願でもあります。

 決議案が採択されてもすぐに世界連邦が実現するというものではありません。けれども日本がその方向を究極の理想として努力していくというメッセージを世界に発信することはまことに重要なことであると指摘したのです。

 もう1つは国際刑事裁判所の設立条約の批准と国内法の整備を急ぐことです。国際刑事裁判所はジェノサイド(大量殺害)、人道に対する罪、戦争犯罪など国際社会にとって重大な罪を犯した個人を法によって裁くものです。憲法で「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを明らかにしている日本こそ率先して加入すべき条約であると私は強く主張したのです。

 この日の会合で一番感動したのはノーベル物理学賞に輝いた湯川秀樹博士の令夫人であり、世界連邦全国婦人協議会会長をされている湯川スミさんの挨拶でした。「武力で平和は築けません。今、世の中は少しおかしくなっているようです。若い人たちに期待しています」とても92歳とは思えない凛とした声が今も私の耳に残っています。

2002年9月18日

 小泉純一郎首相と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記との日朝首脳会談で、北朝鮮側から示された拉致問題に関する答えはまことに衝撃的なものでした。

 日本政府が認定した8件11人の拉致被害者のうち、生存が確認されたのはわずかに4人でした。中学1年生で拉致された横田めぐみさんたち6人はすでに死亡していることが確認されました。このほか欧州で行方不明になった未認定の2人も死亡していました。

 北朝鮮が発表したことが事実であるとすれば、痛恨の極みであり胸のつぶれる思いがします。全員の生存を願い、そろって帰国できることを求めていた被害者の家族の方々の深い悲しみを思うと言葉を失います。

 金総書記は拉致の事実を認め「忌まわしい出来事で、率直におわびしたい」と謝罪したようです。しかしながら謝罪したから許されることではありません。

 断じて許されない行為を行った関係者の処罰は当然なこととして生存者の早期帰国、死亡者の詳細な死亡状況など事実関係の明確化、ご家族への補償問題など誠意ある対応を求めたい。とともに二度とこのような拉致事件が起こらないよう改めて厳重に抗議したいと思います。

 日朝会談では、拉致問題のほか、北朝鮮による核開発、ミサイル発射、不審船など日本の安全に関する問題も大きなテーマになりました。この問題では北朝鮮側はミサイル発射実験を2003年以降も凍結することを約束し、不審船についても「軍部の一部がやったとみられる」と述べ調査する考えを示しました。

 過去の精算は日本にとって大きな問題でした。日本側は過去の植民地支配に反省とおわびを表明しました。同時に北朝鮮側が求める補償については、日本の経済協力で対応することとし、日朝双方が財産請求権を放棄することに同意しました。

 拉致事件の衝撃的な事実が明らかになり、一部にはこの段階で国交正常化交渉の再開に合意したことを批判する向きもあります。けれども大局的に見て小泉首相の判断は間違っていなかったと確信します。

 日朝関係の改善は朝鮮半島や北東アジア地域のみならず米国を含む国際社会の平和と安定にも大きくかかわっています。国交正常化交渉では両首脳が行った日朝平壌宣言をもとに実りある話し合いを進めてもらいたい。この交渉を通して国民の理解と納得を得るよう政府は一段の努力をするべきであると注文しておきたい。

2002年9月11日

 米国同時多発テロから1年が過ぎました。昨年の今日私は総務副大臣としてシンガポールを訪問中でした。「ニューヨークの貿易センタービルが炎上。戦争になるかも知れません」ショッキングな第1報でした。

 宿舎に帰ってテレビを見ると2機の飛行機が次々に貿易センタービルに突入し、崩壊していくではありませんか。世界中が恐怖に凍りついたあの映像です。

 無残なつめ跡が今も残るニューヨークで「同時多発テロ1年追悼式典」が行われますが、私は改めて犠牲になられた全ての方々、そしてご遺族の皆様に心から哀悼の意を表させていただきます。

 無差別テロは国際社会に対する挑戦であり、あらゆる文明、人種、宗教に対する攻撃でもあります。人類全体に対する絶対悪ともいえるでしょう。

 国際社会は協調体制を整えアフガニスタンを支配していたアルカィーダを倒しました。けれどもその残党によるテロ再発の可能性がないとは言い切れません。

 米国同時多発テロから1年たった今、痛切に思うことはテロリストは軍事行動で一時的に退治できても、テロリズムの解決にはならないということです。テロリズムという思想そのものを生み出す土壌にどう対処すれば良いのか。この根本問題にどう取り組むのかが国際社会の喫緊の課題といえるでしょう。

 今、世界では貧困、飢餓、エイズ、麻薬、地雷、環境など人道の危機が一段と深刻さを増しています。これらの問題に「人間の安全保障」という立場から取り組んでいくことが結果的にはテロの温床を無くする地道な作業につながると私は確信します。こうした分野で日本が果たすことのできる役割は大きいものがあるはずです。

 米国が準備を進めているイラクへの軍事行動についてもフセイン体制後の明確な展望のないまま軍事行動に走ることは、いたずらな混乱を生むだけに終わりかねません。イラク問題は国連中心の「対話」による解決を図るべきです。このことを日本は米国に助言すべきです。それが真のパートナーシップの務めだと私は思います。

2002年8月29日

 衆議院財務金融委員会で長崎県と福岡県を訪問。国の会計、税制、金融などについて実情を調査してきました。

 長崎県では福岡財務支局長、長崎税関長、福岡国税局長らから説明を受けました。このあと佐世保市のハウステンボスを視察し、森山社長から園内施設や再建計画について説明を受けました。

 社長の話では、開園時年間600万人あった入園者が近年は370万人の水準で推移しているとのこと。平均宿泊日数を現状の1.6日から3日に上げるよう努力していると語っていました。他の施設にはない滞在型の施設づくりを再建計画の柱にしているようでした。

 五島列島にも行ってきました。長崎港から福江港までジェットフォイルで1時間25分でした。その昔、日本を出る遣唐使が最後に寄港したのがこの港だそうです。

 遣唐使は四隻一組でしたが四隻揃って唐までたどり着けることはほとんどありませんでした。いつ海が荒れるかもわからない、誠に危険な旅でした。求道心熱い多くの青年が海の藻屑と消えてしまったであろうことを思うと残念でなりません。

 福江市役所では、市長さんから島の現状について説明していただきました。厳しい財政の状況にもめげずスポーツによる交流を中心に夢のある島づくりに取り組む姿に感動しました。

 麻薬や拳銃の密輸入を取り締まる税関監視艇の試乗や港湾改修工事の視察も有意義でした。

 福岡県では日本銀行福岡支店長、門司税関長などと懇談した翌日、北九州市の安川電機に参りました。産業用ロボットの開発と製造では日本の先頭を走っている企業です。

 永次会長自ら工場を案内してくれました。ロボットがロボットを組み立てる生産ラインにはびっくりしました。世界の工場といわれる中国もこの分野ではここまでは到っていないそうです。

 国宝「漢委奴国王」金印が常時展示されている福岡市博物館も見学しました。「この地は大陸への玄関でもあり、いつの時代も大変に豊かでした」と語る田坂副館長の言葉が印象的でした。

 長崎も福岡と同様に外国との交易で栄えた歴史を持っています。ヒト・モノ・カネが動く。これが経済の基本であると私は考えます。もっと大きく、もっとダイナミックに自由自在に動ける時代を創っていきたい。そんなことを九州の地で考えました。

2002年8月19日

 時事通信社が15日にまとめた8月の世論調査によりますと小泉内閣の支持率は前月を5.1ポイント下回る37.9%に急落しました。先月反転した支持率はわずか1ヶ月で再び低下に転じてしまいました。不支持も6.5ポイント増の41.8%となり、不支持が支持を上回りました。

 政党支持率では自民党が21.3%(同0.7ポイント増)公明党が4.6%(同1.0ポイント増)と上昇し、保守党は0.1%で増減なしでした。

 一方、野党は、民主党4.7%(同0.1ポイント減)共産党2.5%(同0.5ポイント減)自由党0.9%(同0.5ポイント減)で軒並み低下しました。「支持政党なし」は61.0%(同0.2ポイント減)でした。

 公明党の支持率が4.6%に上昇し、4.7%の民主党と肩を並べたことは注目されます。

 支持率を上昇させる。8月17日18日に行われました四国の夏季議員研修会でもこのことをテーマに様々な角度から議論を深めました。

 具体的な運動論は各地域で展開していくことになりますが、議員自らが自らを脱皮する決意で新しい分野に挑戦していくこと、毎日新しい人に会っていくことなどを決意しあいました。

 甲子園球場で繰り広げられている夏の高校野球では四国勢が揃ってベスト8に進出しました。尽誠学園(香川)川之江(愛媛)明徳義塾(高知)鳴門工業(徳島)の4校です。ベスト8の半分が四国勢というのはすごいことだと思います。

 勝ち進んできたゲームの一つ一つが感動的でもありました。最後まで勝利をあきらめないで見事な逆転劇を演じたことも度々ありました。

 自分の運命を開くのは勇気であり、運命に耐えるのも勇気であり、運命を賭けてぶち当たってみるのも勇気である。ーースウェーデンの思想家であり、教育者であるエレン・ケイの言葉です。

 勝利者は大体、心の中に勝つという答えを出している人である。―ー彼女はこうも言い切っています。夏季議員研修会を終え四国の各地に帰っていった皆様の御健勝を心から祈ってやみません。

2002年8月7日

 政府は本日午後の閣議で勲章の等級廃止や簡素化を柱とした栄典制度改革案と関連政令改正案を決定しました。これによりますと現在19段階の勲章は9段階に簡素化されます。来年秋から実施されるとのことです。

 今回の改正は、明治以来の栄典制度を1964年に現行の制度に改正して以来、40年ぶりの大改正といわれています。叙勲は現在、春秋の2回実施され、年間9000人が対象となっていますが「勲一等から勲八等など数字によるランク付けはおかしいのではないか」「女性の叙勲者が一割程度しかいない現実は見直すべきである」「受章者が公務員出身者に偏っているのではないか」などの意見が続出していました。

 公明党ではこうした意見に加え、政治家は政治家になったこと自体を選挙民に感謝すべきであり、叙勲の対象から除外すべきと主張し続けてきました。今回の改正では「最初から特定の人々を対象外とすることはできない」とする意見が多く、見送られてしまいました。

 制度として政治家を対象外にすることは実現できませんでした。けれども実際に叙勲を受けるかどうかの判断は政治家自身に委ねられているわけですから、私たちとしては辞退したいと思っています。

 褒章については年齢にとらわれずに選考する姿勢が強調されています。今までほとんど受章者がいなかった「緑綬褒章」をボランティア活動などで実績のある個人らに授与したり「紅綬褒章」の授与要件を緩和して、人命救助に尽くした人に幅広く授与することなども盛り込まれました。「紫綬褒章」については年齢制限を撤廃するとしています。

 選考方法についても地方自治体による候補者選考の際に一般からも推薦できる仕組みを導入するなど本当に対象としたい人が選ばれるよう具体的な検討を進めたいと思っています。

 官尊民卑の代名詞のように受けとめられている叙勲制度を、国民から支持される栄典制度に大改革することは大変な労作業となります。今回の改革ではまだ十分といえない点も多くありますが、大改革への1歩になったことは確かだと思っています。

2002年7月31日

 第154回国会が本日終了しました。この国会の思い出はいろいろありますが、私にとって特に印象に残るのは日本郵政公社法、信書便法など郵政関係4法案が成立したことです。総務副大臣在任中から議論してきたものだけに感慨深いものがあります。

 郵便事業開設の発案者は前島 密(まえじまひそか)氏です。開国を迫られた江戸末期、氏は長崎で英語の勉強中、米国の郵便制度を知るのです。切手を張り、ポストに投函すれば全国どこへでも届く。合理的な制度です。それに比べて日本では、明治になっても情報の往来は飛脚でした。多額のお金が必要で一部の人達しか利用できませんでした。

 渡英し、郵便や貯金事業を学んだ氏は郵便制度の導入を建議します。1871年(明治4年)郵便制度はスタートします。政府が当初、創設した郵便局は東京などわずか3ヶ所でしたが、1872年(明治5年)には北海道の一部を除いて全国に郵便局が開設されたのです。

 わずか1年で全国展開されたのは、地域の素封家が自らの資産を提供して政府の事業に協力し、郵便の取扱所を開設したことによります。民衆が作り上げた郵便制度といえるでしょう。さらに郵便為替、郵便貯金、簡易保険制度が加わり、国民に愛され信頼されるネットワークが広がっていったのです。

 今回の改革は130年ぶりの大改革といえるでしょう。一つは経営主体を国ではなく日本郵政公社にしました。自立的弾力的にできるだけ民間に近い形で経営し、いいサービスを効率的に提供できるようにしたのです。もう一つは信書の国家独占を排して、民間にも全面参入できる道を開いたことです。

 ユニバーサルサービスという基礎はしっかり確保しながら、より質のよい、安いサービスを公社と民間の信書便事業者が互いに競い合う。そこにこそこの法案成立の意味があると私は思っています。そうでなければ国民のための改革とはいえないでしょう。

2002年7月24日
 官製談合防止法案が本日、参議院本会議で可決し、成立しました。法案の提出者として衆議院、参議院で答弁に立ってきただけに喜びもひとしおです。

 近年、国、地方公共団体等の職員が入札談合等に関与している事例(いわゆる官製談合)が発生しています。ところが公正取引委員会には、これに有効に対処する法律上の権限がありませんでした。一方で発注者である各省大臣や都道府県知事等においても入札談合の探知や調査が必ずしも十分に行われていない状況にありました。

 公明党では、こうした状況は放置できないと考え、まず与党3党が協議するためのたたき台を作りました。与党3党ではこれをもとに検討を進め、一年余りの歳月をかけて作り上げたのが官製談合防止法案なのです。

 この法案では入札談合等関与行為は以下の3類型としています。(1)談合の明示的な指示(2)受注者に関する意向の表明(3)発注に係る秘密情報の漏洩です。政省令に委ねるのではなく法律で明文化したのが特色です。

 こうした入札談合等関与行為があった場合、公正取引委員会は各省各庁の長や地方公共団体の長、または、国もしくは地方公共団体が資本金の2分の1以上を出資している法人の代表者に必要な措置を要求できることとしています。

 また要求を受けた各省各庁の長等は調査を実施し、必要な措置をとり、調査結果を公表しなければならないとしています。

 さらに各省各庁の長等は当該行為を行った職員に対して損害賠償請求や懲戒事由の調査をしなければならないことも定められています。

 このほか、入札談合等関与行為の防止に向けた関係行政機関相互の連携や協力についても定めています。地方公共団体等が自主的な努力をすることへの配慮についても規定しています。

 この国会ではすでに「あっせん利得処罰法改正案」が成立しています。これは処罰対象に国会議員の私設秘書を加えるものですが、今回の官製談合防止法案の成立とともに国民の政治不信を解消するきっかけになってほしいと念願しています。両法案が利権の絡む口利きや談合を一掃する大きな力となることを期待しています。

2002年  7月16日

 東南海・南海地震特別措置法案が本日、衆議院本会議を全会一致で通過し、参議院に送付されました。今国会で成立することは間違いないでしょう。法案は災害対策特別委員長提案の形となりましたが、もともとの法案は与党3党が提出したものであり、法案提出者の一人として喜びにたえません。

 東南海・南海地震とは遠州灘西部から熊野灘及び紀伊半島の南側の海域を経て土佐湾までの地域並びにその周辺の地域における地殻の境界を震源とする大規模な地震をいいます。この地震は高い確率で発生すると科学的な評価がなされています。

 今世紀前半にも地震や津波による莫大な被害が広い地域で発生する恐れがあります。したがって事前の対策を着実に進めておく事が必要なのです。

 法案の主な内容は

1)内閣総理大臣は東南海・南海地震防災対策推進地域を指定する。

2)中央防災会議は防災対策推進基本計画を作る。地方自治体等は基本計画に基づいた防災計画をつくる。

3)推進地域の病院、劇場、百貨店等、不特定多数の者が出入りする施設はあらかじめ津波からの円滑な避難の確保などを定めた対策計画を知事に届け出る。

4)国及び地方公共団体は推進地域において避難地、避難路、消防用施設などの整備に努める。

5)国は観測及び測量のための施設を整備するとともに、必要な財政上、金融上の配慮をする。

 というものです。

 東海沖、紀伊半島沖、四国沖を走る南海トラフに沿って、フィリピン海プレートはユーラシアプレートの下に沈み込んでいます。沈み込むとき普段はユーラシアプレートも一緒に引きずり込むのですが、限界を超えると、はね返ってしまうのです。これが巨大地震発生の原因とされています。

 巨大地震のうち最新のものは1944年の東南海地震と1946年の南海地震です。684年白鳳の地震以来11回の巨大地震の発生が歴史に残されています。

 そこで問題は次の巨大地震が発生するのはいつかという事です。研究者の発表では前の地震から70年後と言いますから2020年以前という事になります。しかもいつ起きても不思議ではないという事ですからいよいよ大変です。“備えあれば憂いなし”とはまさにこういう時のためにある言葉でしょう。

2002年  7月11日

 駐日インド大使に続いて駐日パキスタン大使と意見交換をしました。トキール・フセイン大使は本音で議論したいと用意された原稿を使わず率直で明確な話をされました。

 私はインドとの間で緊張状態が続くカシミール問題の解決策をお聞きしました。カシミール問題は1947年インド・パキスタン分離独立の時、住民の20%に過ぎなかったヒンドゥー教徒の藩王ハリ・シングがインドへの帰属を表明したことに起因します。過去3回のインド・パキスタン戦争のうち2回がカシミール帰属問題をめぐって起きているのです。

 現在に至るまで50数年間続いてきたカシミール問題がインド・パキスタン両国を政治的にも経済的にも消耗させています。何にもまして犠牲になっているのはカシミールの住民です。したがってこの問題はなんとしても決着させなければなりません。そんな気持ちで私は大使にたずねたのです。

 大使はこたえました。「国連決議(1949年)が求めている住民投票により、独立の意思が確認されれば、東ティモールのように独立国になっても問題ない」まことに明確でした。

 巷間、カシミール問題の解決策としてあげられている選択肢にはない回答でした。私は「一つの解決策として東ティモールのように独立国になる可能性はありますか」とやや、控えめにお聞きしただけに真正面からの回答に少々びっくりしました。

 通常カシミール問題の解決策としてあげられている選択肢には次のようなものがあります。1)国連決議に基づいてカシミールで住民投票を行うーパキスタンが要求、インドは絶対拒否。もし、住民投票を行えば、パキスタンへの帰属が決定するからです。2)カシミールを独立させるーインド・パキスタン共に反対、主要国も支持していない。3)インド領、中国領、パキスタン領になっている各地域ごとに住民投票を行い、インドに加わるか、パキスタンに加わるかを住民が決定するーパキスタンは受諾可能、インドは絶対反対。その他、国連の信託統冶下におくーインド・パキスタンともに反対。などです。

 大使との短い意見交換でしたが、通常言われていることを鵜呑みにしてはいけない。やはり直接聞いてみなければ本当のことは解らないと思いました。カシミール問題が武力でなくて話し合いで解決されることを祈りつつ大使と固い握手を交わしました。

2002年  7月8日

 全国の先駆を切って高知県で党夏季議員研修会が開催されました。私も白浜一良幹事長代理、福本潤一参議院議員らとともに出席しました。高知県では8月に統一外地方選挙が集中しています。越知町、芸西村、土佐山田町、土佐清水市、安芸市の順に選挙があるのです。公明党の予定候補はあわせて7人ですが新人が3人、そのうち2人は女性です。

 研修会は予定候補の紹介から始まりました。候補者の皆さんがはつらつと抱負を語りました。会場からも暖かい拍手が寄せられました。8月の“高知決戦”に大勝利しよう!!来年の統一選挙の前哨戦を断呼勝ちとろう!!戸外はしのつくような豪雨となりましたが、場内は熱い熱気につつまれました。

 3人の議員による活動報告も好評でした。なかでも室戸市の女性議員はパソコンを議会活動にフルに活用した体験を語り、注目を集めました。資料集めから、困ったときの相談までバソコン一つでできる。こんなに便利な宝箱はありません。と語る表情は自信にあふれていました。

 活動報告につづいて、党本部職員によるパソコン研修会が開かれました。パソコンは距離の壁をなくす。時間の壁をなくす。誰れでもどこでも世界中の人と情報を共有できる。世界中に発信することもできる。公明党は全議員がホームページを開設しようと呼びかけています。高知県でもそんな息吹きにあふれたバソコン研修会となりました。

 午後は国政の重要法案や循環型社会基本法、医療と健康保険法について学習しました。国会議員と地方議員の皆さんが国のあり方や地方のあり方をめぐって丁々発止と議論を交わす場面もありました。どの人も真剣に真面目に政治のあり方を考えている公明党らしい研修会になったと思います。研修会を終え、帰途につくと雨の止んだ空に虹が出ました。

 夕の虹土佐の豪雨をしめくくる(和良)

2002年  6月28日

 日露友好議員連盟の訪露団(団長は三塚博会長)の一員としてモスクワに行ってきました。
4泊5日の短い日程でしたが、イワノフ外相.セレズニヨフ国家院議長はじめぺフチン「統一」代表ら各党代表とひざを交えて意見交換してきました。

 ザドルノフ露日友好議連会長ら日露関係に関心を持つ国会議員30数人とも日本食を食べながらじっくり懇談でき、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。

 イワノフ外相との会見で私は二つのことをお聞きしました。第1点は年内に小泉首相の訪露は実現するか。第2点は来年中のロシアのWTO加盟は間違いないか。の二つです。
ともに日本の国民にとっても関心のあることですから、国民を代表する立場でこの国の責任者に直接たずねてみました。

 小泉首相訪露の問題はカナダのカナナスキス・サミットで行われる小泉・プーチン会議での議題となるでしょう。両国の首脳会議は重要であり、入念な準備をしたい。と実務者らしい回答でした。

 ロシアのWTO加盟については、時期よりも条件を重視しています。WTOに入ること自体は疑う余地もありません。できれば来年中に入りたいと希望していますが、条件次第です。経済の利益を不当に害する条件には賛成できません。具体的な話し合いを詰めたい。
とこの点では相当に準備が進んでいる印象でした。

 シャバノフ国際問題委員会副委員長との意見交換会で私はロシアにおける核兵器の削減や解体処理の実態についてお聞きしました。
回答はロシアではアメリカとの交渉の結果、保有する核兵器と核を搭載できる兵器の3分の2を削減することになりました。しかし、具体的な解体処理の作業については議定書に書かれていないし、国際的なワク組みもありません。それが実情です。というものでした。

 核廃絶についても理論的にはそれが一番正しい。世界中がそのようになることを期待しています。との発言もあり、印象に残りました。

 ロシア滞在中、若い日本人女性がピアノ部門で一位に。バイオリン部門でも一位のいない二位に輝いたチャイコフスキー国際コンクールの表彰式が行われました。プーチン大統領もお祝いに駆けつけモスクワっ子とともに暖かい拍手を送っていました。ロシアも確実に変わりつつあります。そんなことを実感した今回の訪露でした。

2002年  6月17日

 中部徳島県人会総会に出席しました。現在、徳島と名古屋は中日本エアラインで結ばれています。一日に2往復あり、日帰りできるのは大変ありがたかったです。私は開会の30分程前に到着したのですが会場となった新幹線名古屋駅前のホテルはすでに懐かしい方々で一杯でした。

 最初に声をかけて下さったのが中部県人会会長の米田展之さん。小柄ですが、精力的に動き回っておられて席の暖まる暇もありません。出席された方々全員に挨拶されているようです。「米田会長は本当によく頑張っていただいています」「いつも心から感謝しています」参加者からこんな声をたくさん聞きました。

 私はすっかりうれしくなりました。実は米田さんは私の小学校・中学校の2年後輩なんです。いつも元旦に家族そろって帰省され毎年のようにお会いしていました。ふるさとのことをいつも心から大切にされる方でした。

 10年ほど前、私は夜遅く米田さんから電話をいただいたことがあります。「回りの人達から選挙に出るよう勧められています。・・・・」話し合っているうちに自ら決意され「頑張ります」とさわやかに語られたことを今も鮮やかに思い出します。

 米田さんは東京大学経済学部を卒業したあと、トヨタ自動車に勤務していました。将来は間違いなく役員に登用される方だったと思います。その人生を自らの意思で変更され、現在は公明党の愛知県議会議員として県民のために尽くされているのです。

 中部は昔から白いキャンパスといわれてきました。東京や大阪に比べると自由自在に未来が描ける余地があるという意味だったと思います。その中部に今、愛知万博や中部国際空港という大きな夢が描かれています。しかし、現実には長引く不況のなか、どう明日への希望を見出していくか、まず足下から勝利していかなくてはなりません。

 県人会につどわれた皆様が米田会長を中心に一層頑張って、ふるさと徳島に元気の出るメッセージを届けて下さることを祈りながら、私は帰途につきました。

2002年  6月10日

 駐日インド大使のアフターブ・セット氏と核の問題について意見交換しました。大使は1943年生まれで私と同じ歳です。慶応大学に留学したこともあり流暢な日本語を駆使しながら日本政府の要人や文化人との交流に活躍されています。詩人としての顔も持ち詩集も発表されています。

 私達公明党との意見交換会でも最初は日本語で釈迦やタゴールやマハトマ・ガンジーの話をされ、日本の岡倉天心や横山大観などとの交流についても語られました。日本に対する深い知識と愛情が感じられました。

 私は少しぶしつけと思いましたが思い切って聞きました。現在のインドは核保有国です。これはガンジーの無抵抗主義やパール判事の思想からは考えられません。なぜ核を持つのか。核に対する政策を聞かせて欲しい。

 インドは本当は持ちたくなかった。けれども周りの国が核保有国となってしまった。しかもインドには核の傘が無い。だからいやいやながらも持たざるを得なかったのです。インドはどんなことがあっても先に核を使うことはありません。究極的には日本と同じように核廃絶を願っています。

 大使の言葉は明快でした。日本政府の中に核兵器を(持たず、作らず、持ち込ませず)との「非核3原則」について見直すかのごとき発言をしたとの報道がありましたがとんでもないことです。「非核3原則」は国是であり、唯一の被爆国である日本は「非核3原則」を将来にわたって堅持しなければなりません。

 『象は痩せても象である』大使の近著です。『象』とは『日本』のことです。もともと巨大で強い力を持つ象は少々痩せたところでいささかもたじろぐ必要はないと大使は激励してくれています。私は核の抑止力というものがこの地球上で意味のないものとなるよう祈りながら、この本を読みました。

2002年  5月31日

 世界連邦日本国会委員会総会でドイツ文学翻訳家である池田香代子さんの講演を聞きました。池田さんは「グリム童話」や「ソフィーの世界」の翻訳で有名ですが、最近は世界中を感動で包んだインターネットの民話を「世界がもし100人の村だったら」という絵本にまとめて出版し話題を呼んでいます。

 村に住む人びとの100人のうち20人は栄養が充分ではなく1人は死にそうなほどです。でも15人は太り過ぎです。すべての富のうち6人が59%をもっていてみんなアメリカ合衆国の人です、74人が39%を、20人がたったの2%を分けあっています。

 すべてのエネルギーのうち20人が80%を使い80人が20%を分けあっています。

 75人は食べ物の蓄えがあり雨露をしのぐところがあります。でもあとの25人はそうではありません。17人はきれいで安全な水を飲めません。

 もしもあなたが嫌がらせや逮捕や拷問や死を恐れずに信仰や信条、良心に従って何かをし、ものが言えるのならそうではない48人より恵まれています。

 絵本ではこのように世界の姿が次々に語られていきます。そして最後にこう締めくくっているのです。

 もしもたくさんのわたしたちがこの村を愛することを知ったならまだ間に合います。人びとを引き裂いている非道な力からこの村を救えます。きっと。

 池田さんの絵本は今、各国の言語に翻訳され出版されています。池田さんはその印税を世界中の貧しい子供たちや難民となった方々に送られているそうです。私も政府が難民受け入れの在り方を再検討するよう働きかけていきたいと決意しました。

2002年  5月22日
 火山噴火のため全島民が離島して1年8ヶ月になる三宅島に行ってきました。自衛隊の大型ヘリで東京から1時間の距離ですが、そこは人を寄せ付けようとしない厳しい世界となっていました。

 特に空港近辺は有毒ガスによる被害が大きく死の世界を見るようでした。森林は枯れ家屋は火山灰に埋まり屋根はボロボロに腐っていました。自動車も多くがもう使い物にはならないでしょう。

 島を一周したのですが有毒ガスの被害を受けていないと思われる森林もありました。風向きが生の世界と死の世界を作っているのかもしれません。

 火山の中腹にある村営牧場にも参りました。
牛が放牧されていたという牧草地は厚い火山灰に埋まり草一本生えていませんでした。噴火のとき逃げ遅れたのでしょうか三頭の牛の遺骸が今もそのまま残っていました。

 視察の後、私たちは衆議院災害対策特別委員会で、三宅島噴火災害に関する件について決議をしました。私たち特別委員会のメンバーは島民の皆様が一日も早く帰島できるよう火山活動が鎮まることを祈っています。とともに全島民が未来に勇気と希望を持ち安心して暮らせるよう全力で支援させていただきたいと決意しています。

2002年  5月8日

 この春、私は二つの美術館に行きました。東京富士美術館と信州・塩田平の無言館です。東京富士美術館では「フリードル先生とテレジンの子どもたち」を見ました。

 ナチスの強制収容所で一人の女性教師が子どもたちの心に明るい希望の火を灯したのです。どの作品も死に直面した子どもたちが描いたとは思えません。無邪気で夢と想像力にあふれたものばかりでした。

 国際連盟の視察団が来たとき、子どもたちは模範的な収容所であることを演出するため笑顔一杯で演技します。けれども視察団が帰った翌日、子どもたちはフリードル先生とともにアウシュビッツに送られ二度と帰ってこないのです。

 無言館では戦没画学生の遺作が展示されていました。出征の前日まで一刻を惜しんで筆をとり恋人を描き続けた若者もいます。「ばあやんわしもいつか戦争にゆかねばならん。そしたらこうしてばあやんの絵も描けなくなる」とつぶやきながら筆を走らせた若者もいます。

 作品を残した若者たちは出征したまま一人も帰ってきません。二つの美術館で見たもの。それは戦争の非情と残酷さであり、絶望のなかでも失わなかった人間の生命の美しさでした。

2002年  4月26日

 ロマーノ・プロディ欧州委員会委員長の国会演説を私も聞きました。EUが共通通貨ユーロの導入という歴史的な試みに挑戦し、欧州に一大資本市場を創設する道を開きつつあることは歓迎すべきことです。委員長の演説は自信にあふれたものでしたが特に印象に残るところが二点ありました。

 第一点は中東での暴力の再発に対して軍事的行動は恒久的解決につながらない。皆に正義がもたらされることなくして平和が訪れることはありえないと断言されたこと。

 第二点は現在の日本は深刻な経済的困難を経験しているが、必ずやその困難を克服されるでしょう。安直な悲観論の罠に陥ってはなりません。日本は自己を信頼し、その将来に自信を持つべきですと話されたことです。

 日本とEUは合わせると世界の総生産の半分近くを占めるパートナーです。今後は経済的な交流ばかりでなく『人と人』の交流も大切にしたい。委員長は留学生の交換や大学間の協力を提案されたが、私も同感です。未来を担う人たちの心の交流こそ友好の土台となることは間違いありません。

2002年  4月17日

 最近の中国の発展はめざましい。日本への輸出品目を見ても従来は、繊維製品が中心でしたが、近年は、事務用機器、通信機器、電気機器なども急増。さながら世界の工場になった観さえします。

 このまま推移すると技術的な付加価値が高く、わが国が得意としている製品すら競争優位を失いかねないでしょう。これがいわゆる中国脅威論であり、私達の周辺でもよく聞きます。消費者物価を引き下げ、デフレの主犯と指摘する声さえあります。

 こうした日本の世論を気にしてか、小泉総理は海南島でのアジアフォーラムで中国脅威論に組みしないことを明言しました。つまり、日中経済関係は「脅威」でなく「挑戦」する「好機」に。「対立」ではなく「相互補完」を。そして日本の産業の「空洞化」でなく「高度化」を。と訴えたのです。私もこれに同感です。

 中国もまた、WTOに加盟したのですから、国際的経済ルールのもとで成熟した日中関係を築く努力をするものと期待します。

2002年  4月5日

 春の甲子園にさわやかな旋風を吹かせた徳島県の鳴門工業高校。きょうの決勝戦で報徳学園(兵庫)に敗れはしたものの、健闘をたたえる声は今も巷に満ちています。

 鳴門工業高校は昭和38年4月、学校創立と同時に野球部を創立。甲子園出場は春2回夏2回と4回を数えていますが、野球王国・四国の常連校から見ると、ほとんどノーマークの出場校だったといえるでしょう。それが酒田南(山形)に7対5。大体大浪商(大阪)に3対2。広島商(広島)に19対1。関西(岡山)に3対1。と勝ち進み、あれよあれよという間に決勝戦に進みました。

 私も広島商との戦いをテレビで見ましたが、甲子園で連覇したときの池田高校を彷彿とさせるような痛快この上ない試合運びでした。無欲の勝利というのでしょうか。
高校生らしいはつらつとしたプレーが印象に残りました。

 勝因はいろいろ考えられますが、何といっても四国一と自慢する練習量でしょう。
暗いニュースの多い世の中にさわやかな感動を送ってくれた球児に感謝するとともに、感動の源はやはり地道な日ごろの努力の積み重ねにあることを改めて知りました

2002年  3月26日
 『永年在職議員』の特典制度が、一部を除いて4月1日から廃止されることになりました。国会議員歳費法改正案など関連法案が議員立法の形で今日26日衆院本会議に提出され、全会一致で可決されたのです。
参院でも今週中に可決、成立する運びです。

 廃止されるのは在職25年以上では、特別交通費(月額30万円)と肖像画作製費(100万円)の支給など。在職50年以上では、終身支給の憲政功労年金(年間500万円)。削減額は特別交通費だけで、衆参合わせて年間約1億8000万円。憲政功労年金は2003年からの廃止となります。

 また、議員歳費の月額1割(年間165万円)削減も正式に決定しました。衆参両院であわせて年間17億1000万円もの削減となります。

 デフレ不況に苦しむ国民の目線から見て当然のことであり、拍手を送りたいと思います。

2002年  3月2日

 四国横断自動車道・鳴門ー板野間(10・5キロ)の今夏開通を記念して、記念植樹が行われました。工事によって失われた自然を回復しようと1万本の苗木を植えたのです。私も地元の小中学生と一緒に参加しました。高速道路南側の斜面に、シイの木、ヤマモモなど20種類の苗木を植えつけました。

 エコロジーの森を創る会名誉会長の三木睦子さんも参加されました。私のとなりで植樹されましたが84歳とはとても思えないお元気なお姿に感動しました。子供に帰って土いじりを楽しまれている様子でした。「おげんきですね」と声をかけると「このとうりよ」と立ったままの姿勢で手を足元までつけられる体の柔らかさにはびっくりしました。

 鳴門市長の亀井俊明さんの話では、この日植えた苗木は地元に自生している木から実をとり、育てたもので、準備にも時間をかけているとのことでした。植樹の指導をされたエコロジーの森を創る会会長の森本康滋さんによると、もともと生えていた木を植えることによって人が壊してしまった自然が本来の姿に戻っていくのだそうです。

 古来、文明は水と緑の森に覆われた肥沃な土地に栄えました。ところが、人々が多く住み着き便利な生活を楽しむようになると森は開拓され、利用され、ついには姿を消すに至ったのです。今は砂漠になってしまったところもあります。

 もう一度、ふるさとの森を創ろうと立ち上がった人々に私は心から感謝したい。子供たちは教室の中の授業より面白かったと喜んでいました。一緒に参加したボランティアの方々もいい汗が流せたとうれしそうでした。私も久しぶりに心の底から、さわやかな充実感を味わいました。皆さん本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした

2002年  2月19日

 ブッシュ米国大統領の国会演説を私も聞きました。米国の現職大統領が国会で演説したのは1983年11月のレーガン大統領、1996年4月のクリントン大統領以来3人目でしたが、今回は特に関心を呼び、演説会場となった参議院本会議場は立見席も出るほどの盛況でした。

 大統領は、停滞する日本経済の再生について、米国が70年代後半から80年代前半にかけて経済問題を克服した前例を示しながら「大胆な改革と大規模な競争原理の導入により、日本の繁栄と経済成長の新たな゙維新≠ェ始まった」と小泉首相の構造改革を支持しました。

 また「日本は最も競争力の高い企業と世界の中で最も教育水準が高くやる気のある労働者を持っている」とも語り、日本の将来に明るい期待を寄せました。

 テロとの戦いについては、文明とテロは並存しないと語り、テロを打ち負かすことによって、我々は世界平和を守る。
ミサイルや大量破壊兵器の拡散が人類を脅かさない世界の構築が必要であることを強調しました。
 大統領は結びの言葉で日本は最良の友人と政府を持っていると日米関係の重要性を語り、約30分の演説を終えました。

 静かな口調でありましたが、自分の言葉で話す演説には説得力があり、新渡戸稲造や福沢諭吉の言葉を引用するなど日本への配慮も散りばめた格調高いスピーチだったと言えるでしょう。

2002年  2月12日

 政府・与党はサラリーマンらの医療費自己負担率を2003年4月1日から現行の2割を3割に引き上げることを決定しました。とともに政管健保の保険料率を年収ベースで8.2%(現行7.5%)とし、窓口での薬剤費一部負担を廃止することでも合意しました。 小泉首相が自民党内の根強い慎重論を一歩も引かずに押し切る形で決着したといえるでしょう。

 私がここで注目したいのは、2002年度中に、保険者の統合・再編を含む医療保険制度の在り方、新高齢者医療制度の創設、診療報酬体系の見直し、など医療保険制度の抜本改革に対する基本方針の策定を関連法案の付則に盛り込むことを決定したことです。

 私はつねづねサラリーマンの自己負担率を3割に引き上げる問題は医療保険制度全体の抜本改革と一体のものでなければならないと主張し続けてきました。すでに自営業者らの加入する国民健康保険は3割自己負担ですからサラリーマンらの被用者保険も3割とし、すべての健康保険の自己負担率を一元化する。しかしそれは医療保険制度の一元化と一体のものでなければ意味がないというものです。
 このことを昨年は政府・与党社会保障制度改革協議会のワーキングチームでも何度も発言し続けてきました。法案の付則とはいえ、このことが明記される意義は大きいと思います。政府は一日も早く、全国民が納得する医療保険制度改革の全体像を示すべきです。

 国民に痛みを押しつけるだけでなく政府自ら悩み、戦い、この国の医療保険を持続可能なものとする抜本改革案をこの1年間で描き出すことを明記した法案の付則であると私は理解します。

2002年  2月8日
 衆議院では永年勤続議員への特典が四月から廃止されることになりました。
つまり勤続25年以上の議員に対する特別交通費(月額30万円支給)と肖像画作製費(100万円支給)、勤続50年以上の議員に対する憲政功労年金(年間500万円支給)と胸像製作を四月から廃止することとし、速やかに法改正などの手続きに着手することになったのです。
 公明党では庶民感覚からかけ離れ、時代にそぐわない特権は廃止すべきと主張し続けてきましたが、現下の経済状況を考えても議員が率先してムダな経費を削減するのは当然なことと思います。
2002年  2月5日
 武部農水大臣に対する不信任案決議案は否決されました。
けれどもこれで一件落着したわけでは決してありません。
政府はこの際、BSEの発生を許した責任や危機意識の欠如、初期段階での不手際について猛省すべきです。
そしてBSE発生の原因究明や国産牛偽装事件の真相究明・再発防止に全力を挙げ、食品行政に対する国民の不信感を払拭すべきです。
小泉総理自ら全力で取り組む事を強く期待したい。